マルコによる福音

 〔そのとき、〕6・1イエスはそこを去って故郷にお帰りになったが、弟子たちも従った。2安息日になったので、イエスは会堂で教え始められた。多くの人々はそれを聞いて、驚いて言った。「この人は、このようなことをどこから得たのだろう。この人が授かった知恵と、その手で行われるこのような奇跡はいったい何か。3この人は、大工ではないか。マリアの息子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではないか。姉妹たちは、ここで我々と一緒に住んでいるではないか。」このように、人々はイエスにつまずいた。4イエスは、「預言者が敬われないのは、自分の故郷、親戚や家族の間だけである」と言われた。5そこでは、ごくわずかの病人に手を置いていやされただけで、そのほかは何も奇跡を行うことがおできにならなかった。6そして、人々の不信仰に驚かれた。

 それから、イエスは付近の村を巡り歩いてお教えになった。

 

イ エスが会堂で教え始められた時、故郷の人々はイエスにつまずいたとマルコは伝えます。

「この人は、このようなことをどこから得たのだろう。この人が授かった知恵と、その手で行われるこのような奇跡はいったい何か。この人は、大工ではないか。マリアの息子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではないか。姉妹たちは、ここで我々と一緒に住んでいるではないか。」

 私たちが何かを知ろうとするとき、その人を自分の慣れ親しんだ経験に紐付けようとします。故郷の人たちはイエスの言動を、自分たちの経験に結びつけることばかりを考えて、イエスの福音の新しさを理解することができなかったのです。

 ここで、興味深いことはそうした状況の中でイエスは「ごくわずかの病人に手を置いていやされただけで、そのほかは何も奇跡を行うことがおできにならなかった。」ということです。イエスの奇跡は、イエスへの信仰が前提になっているのです。

 イエスがくり返し、「あなたの信仰があなたを救った」と言いうのはそのためだと思います。

 

 聖ヨハネ・ボスコ司祭については女子パウロ会ホームページをごらんください。。

https://www.pauline.or.jp/calendariosanti/gen_saint365.php?id=013101