ルカによる福音

〔そのとき、ファリサイ派の人々や律法学者たちは〕5・33イエスに言った。「ヨハネの弟子たちは度々断食し、祈りをし、ファリサイ派の弟子たちも同じようにしています。しかし、あなたの弟子たちは飲んだり食べたりしています。」34そこで、イエスは言われた。「花婿が一緒にいるのに、婚礼の客に断食させることがあなたがたにできようか。35しかし、花婿が奪い取られる時が来る。その時には、彼らは断食することになる。」36そして、イエスはたとえを話された。「だれも、新しい服から布切れを破り取って、古い服に継ぎを当てたりはしない。そんなことをすれば、新しい服も破れるし、新しい服から取った継ぎ切れも古いものには合わないだろう。37また、だれも、新しいぶどう酒を古い革袋に入れたりはしない。そんなことをすれば、新しいぶどう酒は革袋を破って流れ出し、革袋もだめになる。38新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れねばならない。39また、古いぶどう酒を飲めば、だれも新しいものを欲しがらない。『古いものの方がよい』と言うのである。」

 

 洗礼者ヨハネは悔い改め運動を行っており、ヨハネの洗礼はヨハネのグループに入る入団式のような性格を持っていたのではないでしょうか。

 イエスにも付き従う弟子たちがいたことから、ファリサイ派の人々や律法学者たちがイエスに自分たちの慣習に従わないイエスに詰問したのではないでしょうか。

わたしたちは誰かから何らかの話を聞くとき、それを自分の体験と紐付けて理解しようとします。

荒れ野で修験者のような生活をしていたヨハネとその弟子集団はしばしば断食し長い祈りをしていたようです。またファリサイ派も同じような慣習をもっていました。その体験からイエスの言動を見ると、律法に逸脱した行為のように思えたのかも知れません。

イエスの教えはそれまでのファリサイ派や律法学者の教えや考えを凌駕しており、彼らが従前の自分たちの考え方を、当たり前だと考えている限り理解不能なのです。

 イエスは彼らの考え方をきっぱりと変えなければ、ご自分のことを理解することはできないといいますが、彼らは自分たちの考えに合わないイエスを否定するようになっていきます。