ヨハネによる福音
〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕15・1「わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。2わたしにつながっていながら、実を結ばない枝はみな、父が取り除かれる。しかし、実を結ぶものはみな、いよいよ豊かに実を結ぶように手入れをなさる。3わたしの話した言葉によって、あなたがたは既に清くなっている。4わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない。5わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。6わたしにつながっていない人がいれば、枝のように外に投げ捨てられて枯れる。そして、集められ、火に投げ入れられて焼かれてしまう。7あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたの内にいつもあるならば、望むものを何でも願いなさい。そうすればかなえられる。8あなたがたが豊かに実を結び、わたしの弟子となるなら、それによって、わたしの父は栄光をお受けになる。」
イエスの「ぶどうの木のたとえ」は、わかりやすいたとえです。私たちはぶどうの枝ですから、イエスという幹から樹液をもらわなければ枯れてしまいます。
たとえ幹とつながっているように見えても枯れてしまえば何の役にも立たず、新しい芽が出てくる邪魔になりますから、剪定の時には先ず枯れ枝を除去します。
「集められ、火に投げ入れられて焼かれてしまう」のを罰のように考えることはできません。
イエスは、「あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたの内にいつもあるならば、望むものを何でも願いなさい。そうすればかなえられる。」といいます。イエスの言葉に満たされて、望むものはすべてかなえられます。
イエスにつながって願います。ウクライナに一日も早くキリストの平和がもたらされますように。