マタイによる福音 12:1-7

そのころ、ある安息日にイエスは麦畑を通られた。弟子たちは空腹になったので、麦の穂を摘んで食べ始めた。ファリサイ派の人々がこれを見て、イエスに、「御覧なさい。あなたの弟子たちは、安息日にしてはならないことをしている」と言った。そこで、イエスは言われた。「ダビデが自分も供の者たちも空腹だったときに何をしたか、読んだことがないのか。神の家に入り、ただ祭司のほかには、自分も供の者たちも食べてはならない供えのパンを食べたではないか。安息日に神殿にいる祭司は、安息日の掟を破っても罪にならない、と律法にあるのを読んだことがないのか。言っておくが、神殿よりも偉大なものがここにある。もし、『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』という言葉の意味を知っていれば、あなたたちは罪もない人たちをとがめなかったであろう。人の子は安息日の主なのである。」

 

「麦の穂を摘んで食べた」と福音書に書いてあるので、以前、収穫間近の麦畑で麦の穂を摘んで、もんでみたことがあります。わたしが食べられるようなものではありませんでした。

 

他人の畑の麦の穂を摘むことは律法で禁じられてはいませんが、安息日は労働を禁じているのでファリサイ派の人たちがとがめたのです。

 

しかし、律法の規定を遵守できる人々は、たまたま律法の規定を遵守できる状況にあるのではないでしょうか。何らかの理由で緊急事態に陥っている場合、いのちが先か、律法遵守が先かということになれば、どちらを選ぶのでしょうか。