マタイによる福音 6:1-18

〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕「見てもらおうとして、人の前で善行をしないように注意しなさい。さもないと、あなたがたの天の父のもとで報いをいただけないことになる。

だから、あなたは施しをするときには、偽善者たちが人からほめられようと会堂や街角でするように、自分の前でラッパを吹き鳴らしてはならない。はっきりあなたがたに言っておく。彼らは既に報いを受けている。施しをするときは、右の手のすることを左の手に知らせてはならない。あなたの施しを人目につかせないためである。そうすれば、隠れたことを見ておられる父が、あなたに報いてくださる。

 祈るときにも、あなたがたは偽善者のようであってはならない。偽善者たちは、人に見てもらおうと、会堂や大通りの角に立って祈りたがる。はっきり言っておく。彼らは既に報いを受けている。だから、あなたが祈るときは、奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる。

 断食するときには、あなたがたは偽善者のように沈んだ顔つきをしてはならない。偽善者は、断食しているのを人に見てもらおうと、顔を見苦しくする。はっきり言っておく。彼らは既に報いを受けている。あなたは、断食するとき、頭に油をつけ、顔を洗いなさい。それは、あなたの断食が人に気づかれず、隠れたところにおられるあなたの父に見ていただくためである。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる。」

 

 今日は灰の式を行います。灰の式では、司祭は「あなたはちりであり、ちりに帰って行くのです」という言葉と共に灰を額につけます。この言葉は創世記で主である神がアダムに「塵にすぎないお前は塵に返る。」といった言葉に由来します。

 哲学者の鷲田清一先生は次のように言います。

 

「英語のヒューマンhumanという語は、フムスhumusという、地面とか腐食土を意味するラテン語からきている。人間はこの地上の被造物であるということでヒューマニティhumanityと呼ばれる。よく似た単語に、ヒューミリティhumilityがある。謙虚さという意味だ。じつは、これもまたhumusを語源としている。こちらは、地面に近い、それほど低いということから謙虚の意になる。慎ましやかとともに、なさけない、卑しい、みすぼらしいを意味するハンブルhumbleも、やはりhumus(腐食土)を語源としている。」

 

 謙虚さとは、へりくだった振る舞いをすることではなく、チリとしての分限をわきまえるという意味です。人間は神がいのちの息をチリに吹き込んでいる間生きて、いのちの息をお返しするとチリに戻ることをわきまえることこそ大切です。

 

 人の前でほめられようとしたり、これ見よがしに、施しをしたり、祈ったり、断食したりすることを偽善だと厳しく戒めます。

 

 それは、それらの善行がチリとしての自らの分限をわきまえて行うのではなく、傲慢な思い上がりだからです。

 

 今日から四旬節が始まります。四旬節は洗礼志願者の最終的な準備の期間であると共に、すでに洗礼を受けた人たちの悔い改めの期間でもあります。私たちはつかの間、この世に生を受けて、必ず死すべき存在として毎日を生きています。この四旬節を回心と再生へのプロセスとして送ることができるよう祈りましょう。