マタイによる福音 4:18-20
イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、二人の兄弟、ペトロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレが、湖で網を打っているのを御覧になった。彼らは漁師だった。イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。二人はすぐに網を捨てて従った。そこから進んで、別の二人の兄弟、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、父親のゼベダイと一緒に、舟の中で網の手入れをしているのを御覧になると、彼らをお呼びになった。この二人もすぐに、舟と父親とを残してイエスに従った。
毎年11月30日は聖アンデレ使徒の祝日です。神学院時代私の1年先輩にアンデレの霊名を持つA神学生がいました。彼はスポーツ万能で、手話にも長けていました。ただ、心根が優しいために決断を迫られる場面では苦労していました。その後大阪教区の司祭として活躍していましたが、神のもとに召されました。
今日の召命物語を読んで、私は自分の東京カトリック神学院の面接試験を思い出しました。当時の東京カトリック神学院への入学は上智大学神学部への編入試験と重なっていました。
学科のテストが一通り終わると、面接試験が行われます。試験官は司祭の外、心理カウンセラーも同席していたと思います。そこで、試験官が私に「召命(神が司祭に呼んでいること)の確信がありますか」と訊くので、「ありません」と応えると、「ないと言ったのは受験生の中であなただけだ。ないのにどうして受験したのですか」と言われました。「私が司祭になりたいと思うことと神が私を司祭職に呼んでいると思うことは違うことだ」と答え、試験官たちに「神はどうやってあなたがたを司祭職に呼んだのですか。手紙でですか、電話でですか」などと言ったら、「君はずいぶん攻撃的だね」とかえされました。
その後、当時の教区長であった相馬司教様のもとに東京カトリック神学院から「不合格通知」が届きました。
相馬司教様の寛大なお計らいで、1年だけ神学院で生活してもよいという許可を頂きました。あのお計らいがなければ司祭にはなっていなかったと思います。
その時の経緯を十七名の司祭の召命をまとめた「なぜこの道を」という本に掲載しました。
その中に、小さいころの司祭へのあこがれを母親から反対されたことや、受験の時の経緯をご紹介しましたが、司祭になったのち、自分でも思っていなかったような大勢の人との心に残る出会いに感謝していることも書き添えました。
今日のミサの福音はイエスが漁師の弟子たちを呼んで弟子にする場面でした。イエスに誘われた弟子たちも何が起こるのか知らずに、自分の持ち物をすべて置いてイエスに従っていきました。
イエスとの出会いは奇跡のようなものです。その後東京カトリック神学院のモデラトール(養成担当司祭)を6年務め、20年以上秘跡神学を講義することになるとは思いませんでした。