ヨハネによる福音 6:37-40
〔そのとき、イエスは人々に言われた。〕「父がわたしにお与えになる人は皆、わたしのところに来る。わたしのもとに来る人を、わたしは決して追い出さない。わたしが天から降って来たのは、自分の意志を行うためではなく、わたしをお遣わしになった方の御心を行うためである。わたしをお遣わしになった方の御心とは、わたしに与えてくださった人を一人も失わないで、終わりの日に復活させることである。わたしの父の御心は、子を見て信じる者が皆永遠の命を得ることであり、わたしがその人を終わりの日に復活させることだからである。」
イエスは「わたしの父の御心は、子を見て信じる者が皆永遠の命を得ることであり、わたしがその人を終わりの日に復活させることだからである。」と約束して下さいます。
キリスト教徒はこのイエスの約束を信じて生きています。
ホスピス医の柏木哲夫先生は、わたしたちは死を生の延長線上で考えているけれども、それは違うと言います。生まれたばかりの赤ちゃんも、おじいさんやおばあさんも、一人残らず死にます。いつ、どこで、どんな仕方で死ぬのかだれも予見することはできません。そうした意味で、人間は死をいわば背負って生きているのです。
しかし、イエスは私たちがいつどんな仕方で死んだとしても、その人を終わりの日に復活させると約束するのです。このような約束をした人はいまだかつていません。
柏木先生は、私たちが死に臨むとき、より大いなるものに抱かれているという安心感がない方はつらさに顔がゆがんでしまうといいます。死に際しては死ぬ人にも、おくる人にも再会の希望があると慰められるといいます。
私たちはイエスの言葉を信じて、いずれまたお会いするのだという希望のうちにお別れするのです。