第一朗読 ダニエル12:1-3
その時、大天使長ミカエルが立つ。 彼はお前の民の子らを守護する。 その時まで、苦難が続く 国が始まって以来、かつてなかったほどの苦難が。 しかし、その時には救われるであろう お前の民、あの書に記された人々は。 多くの者が地の塵の中の眠りから目覚める。 ある者は永遠の生命に入り ある者は永久に続く恥と憎悪の的となる。 目覚めた人々は大空の光のように輝き 多くの者の救いとなった人々は とこしえに星と輝く。旧約聖書で「死者の復活」に明確に言及するのはダニエル書12章が最初だと言われています。背景にはユダヤ教に対する激しい迫害と殉教者の増大があります。「国が始まって以来、かつてなかったほどの苦難」の中で殉教していく人々は、やがて「地の塵の眠りから目覚め」、「永遠の生命に入」ると信じられるようになりました。しかもそのように「目覚めた人々は大空の光のように輝き、多くの者の救いとなった人々は、とこしえに星と輝く」のです。夜の星を眺めるたびに神への信仰を守り通した人々が星になって見守っていると迫害のさなかで人々は信じ始めたのです。
第二朗読 ヘブライ10:11-14, 18
すべての祭司は、毎日礼拝を献げるために立ち、決して罪を除くことのできない同じいけにえを、繰り返して献げます。しかしキリストは、罪のために唯一のいけにえを献げて、永遠に神の右の座に着き、その後は、敵どもが御自分の足台となってしまうまで、待ち続けておられるのです。 なぜなら、キリストは唯一の献げ物によって、聖なる者とされた人たちを永遠に完全な者となさったからです。 罪と不法の赦しがある以上、罪を贖うための供え物は、もはや必要ではありません。「キリストは、罪のために唯一のいえにえを献げて、永遠に神の右の座に着」いておられるとヘブライ書の著者は述べます。「罪と不法の赦しがある以上、罪を贖うための供え物は、もはや必要では」ないのです。毎日私たちが献げるミサは、感謝のうちに、唯一のキリストのいけにえに与ることです。そのミサの真の司式者はキリストです。ミサが感謝の祭儀(ユーカリスト)と言われるゆえんです。ミサで私たちがしていることはキリストによる罪の赦しのための唯一のいけにえへの感謝に満ちた応答です。
福音朗読 マルコ13:24-32
「それらの日には、このような苦難の後、 太陽は暗くなり、 月は光を放たず、 星は空から落ち、 天体は揺り動かされる。 そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る。そのとき、人の子は天使たちを遣わし、地の果てから天の果てまで、彼によって選ばれた人たちを四方から呼び集める。」 「いちじくの木から教えを学びなさい。枝が柔らかくなり、葉が伸びると、夏の近づいたことが分かる。それと同じように、あなたがたは、これらのことが起こるのを見たら、人の子が戸口に近づいていると悟りなさい。はっきり言っておく。これらのことがみな起こるまでは、この時代は決して滅びない。天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。」 「その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。父だけがご存じである。」マルコ福音書第13章は小黙示録と呼ばれます。受難を前にしてイエスは世の終わりに起こることを語られます。世の終わりとか終末というと、破滅や裁きといった恐ろしい出来事を想像しますが、マルコが述べる終末は滅びではなく、神の究極的な救いです。「太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は空から落ち、天体は揺り動かされる。」という表現は小惑星の地球への衝突のことを予告であると考える人もいます。しかし旧約聖書では、こうした表現が、神の民を迫害するバビロン・エドム・エジプトに神が下される罰の象徴として用いられます(イザ13:10など)。そしてそれらの国々では太陽や月、星、天体は神々だと思われていました。つまり当時異教の人々が絶対のものだと思い込んでいるものが崩壊することを預言するのです。イエスはこの黙示文学の表現を用いながら、受難を前にして動揺する弟子たちを力づけます。
ひとこと
世界では地球温暖化や資源の枯渇化、長引く不況、日本では少子高齢化、年金の破綻など私たちの不安は尽きることがありませんが、「天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない」というイエスの言葉は今日も私たちに強く響きます。
世界では地球温暖化や資源の枯渇化、長引く不況、日本では少子高齢化、年金の破綻など私たちの不安は尽きることがありませんが、「天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない」というイエスの言葉は今日も私たちに強く響きます。