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 カトリック教会には復活祭やクリスマスといった祭日のほかに、聖人の記念日があります。今日は聖モニカの記念日でした。聖モニカは聖アウグスチヌスの母親で、聖アウグスチヌスが同棲生活をしたり、キリスト教に疑念を持ったりしていた時代に、息子の改心のためによく祈り、その祈りが聞き入れられたということで、聖アウグスチヌスの記念日の前日に聖モニカを祝うよう教会暦で定められています。日本におけるアウグスチヌスの研究家として知られる碩学の山田晶先生が上梓された「アウグスチヌス講話」を読むと事情はそんなに簡単な話ではなかったようです。もともと聖モニカは我が子を法律家にしようとローマ留学をさせたのです。いわば教育ママです。そのアウグスチヌスがローマで同棲していた相手の名前は分かりませんが、子どもが生まれ、その子の名前はアデオダートゥスと付けられました。この名前はラテン語で「神から授かった」という意味です。ところがどうも息子が素性の分からない女性と同棲し子どもまで授かったという事態に、モニカは危機感を募らせ、この女性と離縁させ、息子のアウグスチヌスを連れて北アフリカに帰る手はずを整えている内に、オスティアという港町で死んでしまったというのです。このあたりの事情についてはアウグスチヌスの「告白録」に書かれていますが、わたしのラテン語の先生が、告白録の中で感動的な部分の一つは、死んだ母親のために神に捧げるアウグスチヌスの祈りであると紹介してくれました。
 聖人というと品行方正で非の打ち所のない祈りの人というイメージがありますが、モニカにしろアウグスチヌスにしろ人間的には欠点の多い人ではなかったでしょうか。そうした、いわば欠けた器のような人間に神の力が働いて、神の力に突き動かされた生き方をするときに、神のわざがその人を通して現れるということがあるように思います。
 そして神の力は欠点だらけのわたしにも、落ち込んでいるあなたにも今日も働いているのではないかと思います。