皆さんラストが…とおっしゃるが、あれは『シャイニング』同様、監督のお遊びととらえてもいいかもしれない。迷路に迷わせるのが目的の映画物語で出口を探すのも徒労ですから。

『愛のむきだし』もそうだったが、特異な作品世界-この場合は夢とその多層構造、そしてそれへの侵入と改竄が裏産業化していること-の説明や例示がほとんどなされていないまま観客は作品世界に放り出される。『華氏451』が最初にやった手法かな?
で、物語を追うにしたがって世界設定がじょじょにわかるというしかけだが、狂言回しをつくらないと決めた以上、観客にわからせることよりも、作品世界の設定と、夢と現実の界面の不確かさを同時並行で表出しようとしているという、ある種最も成功例に乏しく、そして困難な作業にノーラン監督は挑んでいる。
…なんてのが学生時代の小生なら書いたであろう感想。

モノクロのワーナーのマークはダークな物語がはじまることを想起させ、ハンス・ジマーによる、クライマックス直前に供されるべき音楽が冒頭からたれ流される。タイトな編集。世界観の説明は最小限。夢の中ではこの世界は夢なのだという自覚はないのだから、映像はアップを主体にして臨場感をかもす。ロングショットが出てきたときには世界は夢を見る者が主体的に造形した(もしくはされる)ものなのだという説明のためのものとなる。パリの町並みが内側に折れ曲がったり、室内の重力方向の変化などだ。あ、この監督建築好きだけど建築を識らないなとは感じたけど。

夢をレイヤーに分けてその深層へダイブしてゆく?思い出すのはP・K・ディックの作品世界だ(『あばしり一家』4巻だっけ?の精神破壊銃みたいな設定も)。夢から覚めても夢という、タマネギ状に虚構が重なり現実と虚構をわかつものがないまぜになってしまっている世界とか、薬物使用、虚構世界への逃避と脱出、人間情報(造語)と機械情報との違いなど、『マトリックス』を越え、後の『攻殻機動隊』までその影響(というよりモロ設定引用)を与えている。(宗教との関わりについては別の機会に)

…このように付帯説明を多用して複数回読ませるよう仕掛けていた重労働時代の俺。

説明不足な箇所もある。エレン・ペイジ扮する夢の中の世界設計者がアーキテクトした構造を知り、具体化するメンバーが、各レイヤーで作戦を遂行する際における、レイヤーにおける建築や、構造を識っているがゆえの活躍がいまひとつくっきりしない。編集で切ったのかもしれないし、映像の迫力やドラマの勢い優先はいいのだが、アクション場面における最小限のアーキテクトとしての構造説明は必要だと思う。夢だからといって省かずに。
それらが雑なつくりの印象を与えてしまうのが惜しい。この点では、『特攻野郎AチームTHE MOVIE』の方が出来は上。
深層レイヤーで主人公コブの亡き妻が出てくるが、なぜ他のメンバーも過去ありありなのに、コブにとっての妻に相当する存在が出てこないのか?物語がわかりにくくなるって?皆さん複雑な設定の世界観シューティングゲームでしょっちゅう生き物射殺してんのに?
…ってのが物語ズレした辛口ライターさんが思いつく感想だろう。

評価すべきは、本作のような複雑な、ステージやレイヤーが折り重なった物語世界は、恐らく流行のゲームから想を得たものだろうが、それらを一本の物語にして脚色し、果たして一本の映像物語に拵える作業においても大きな手抜きが見当たらず、二時間なら二時間の尺に仕上げている苦心だ。この苦労は、その大半が試行錯誤であれ、小品だの佳作だのと言われる『借り暮らしのアリエッティ』も例外なく注ぎ込まれており、少なくともセミプロ以上の鑑賞者は、斟酌するべきだ。二十年前の●●●ならこのくらいの佳品は半分の人モノカネ時間で仕上げたことだろうと断じるのは、たとえそれが評価として間違っていなくても、嘯きに聞こえる。時代は合理化へ進んでなどいない。(中略)ひとを育てることの大半は試行錯誤であるとかの、お題目も言うまい。ノーラン監督自身何より自分で製作費をかき集めてきているのだ。
…というのを小生は夢のなかで吠えてみる。

『巨人の星』の、星飛雄馬の一球じゃないけども、時間の伸縮に取り組んだ物語は、映像物語でないとできない(ゲームソフト屋さんは既に取り組んでるかな?)。夢時間は、下層レイヤー夢中のリアルタイムより長くエキスパンドされるというルールは、映像物語における「間とは?」を問い直させる。というのも、映像演出の仕事の最も大きなウエイトを占めているひとつが「間」なのだ。
本作では、冒頭に小道具の秒針であらわされるが、それが作品中に(夢の多層構造を説明するための)象徴的扱いとならず、あっさり使い捨てられる。もちろん物理現実世界の存在を示すためだろうが、ピアフの歌をはじめ他にも様々な伏線⇒回収の埋め込みすなわちインセプションがあるはずなのに、本作ではないがしろにされたまま放置されているものが、目立たぬ箇所にも多々あるのかもしれない。ならばコブが持つコマについて、ラストの扱いをさほど重要にとらえることに意義があるのだろうか?
だって夢の使い捨てこそは、産業の宿命なんだもの。
…なーんてカッコつけてまた。

さて、リアル物理現実世界における「間」の調製は、一方で史劇への志向を喚起するが、これは別の話である。