観た?
遅ればせながら観た。
「エヴァ好きなら絶対にハマる」と勧められるままテレビシリーズにハマってしまった僕。恥ずかしい告白だ。そこ、笑っていいぞ。
で?浮かない顔してるけど。
それにしても普段映画を観に劇場へ足を運ばないであろう観客達のマナーの悪さは何とかならないものか?小生の隣席に居た20~30代男性は片や脚を投げ出し、片方は本編クライマックス中に携帯電話でメールをチェックしていた。後席の者は上映途中で立つ際小生の頭を掴んだ。どうやら私見とは違ってあまり面白くなかったらしい。
ぶちまけたね。
本題の前に言っておきたかったからさ。
(略)
主人公は変人涼宮ハルヒだが、事実上キョンが主人公であり、神のごとき存在であるハルヒが憂鬱のあまり無自覚に「セカイ」を破壊したり変造してしまいかねない。「常識ある日常」を守るため、ロリ顔巨乳未来人である朝比奈ミクルも、どう見ても元ネタは綾波だろ?って宇宙人長門有希も、キザなイケメン超能力者古泉一樹も涼宮ハルヒが立ち上げたSOS団なる文芸部モドキに入って共に遊ぶ。
ちょっと、テレビアニメまたは原作未読で初めて本文を読んだ方には理解不能だよ。
いや、本編中未だ明らかになっていない謎はある。情報統合思念体や古泉が所属する機関や、禁則事項だらけでミクルを送り込んだ組織はつまびらかにはされていない。
だーらわかんねーっつーの。
唯一キョンが、たまにハルヒの傍若無人さを叱る。するとハルヒは反省する、もしくはそぶりが断片的にインサートされる。まれには「涼宮ハルヒの溜息」のように、キョンがハルヒの振る舞いにブチ切れることもあるが、それが今度は××がブチ切れた…というネタ。
読者のみなさん、置いてきぼりにしてごめんなさい。
実際にロケーションしたのであろう背景美術に、多少の誇張はあっても必要最小限のデフォルメに抑えたキャラクターたちがおりなす高校生活の、ほんのちょっとした裂け目から垣間見える異世界を、主人公涼宮ハルヒの相手役である狂言回し役キョンが解説し、異世界から日常への橋渡し役を演じる。
キャラの設定や配置なんかは「水戸黄門」並みの黄金パターンじゃないのかね?
本シリーズは、ちゃんと終わるよ。
ストーリーは所謂セカイ系なのだが、謎(ウラ事情)を知っているのは涼宮ハルヒを除いた、主な登場人物と視聴者という「ネタの共有」がキモだ。つまり謎が謎を呼ぶ「エヴァンゲリオン」とはネタバラシ構造が逆転しているわけで、SOS団中唯一の常識人として描かれているキョンの常識ある行動ともあいまって、安心して見ていられる学園放課後ちょいリアルSFコメディ-と、まとまったか?
さらに本作『涼宮ハルヒの消失』はテレビシリーズの一編「サムデイインザレイン」直後の時制からのパラレルワールドものなのだから、テレビシリーズでの作品世界との違い、さらには本作との「接続」をパズルピースを嵌めるがごとく繫げてゆくのも楽しみのひとつ。
持ち上げるねしかし。
長門有希は俺のヨメ。
はいはい。
心配だったのはテレビドラマやテレビアニメが、シリーズ番外やスピンオフ、やや大がかりなエピソードがアレンジされて劇場映画化され、一定の市場を獲得(?)するご時世に、いや、本作は完全なクローズドファンやギャラリー向けのため、興行は大丈夫なのか?と思ったのことだが、杞憂だったようだ。
そんなに入ってたんだ。
入ってたね、しかしだ。
テレビシリーズを観ていないとわからない部分が多々あるので少数館公開は仕方がないが、(略)
で、小生はといえば、見たかったリアルヒューマン長門有希が萌え要素てんこ盛りで登場するのがまずはうれしい。そしてしおりや入部届けなど小道具の扱いからもうかがい知れるように、TVシリーズとの設定の整合に神経を使いすぎるあまり、ともすれば散漫になってしまいがちな物語運びが、とても丁寧に構成されている。スタッフ一人ひとりがキャラクターに愛情をもっている。
絶賛だぜおい。
ちなみに物語中の『消失』直後に登場する文芸部員長門が読んでいるハードカバーだが、小生の世代には懐かしい装丁。
ただ、感想や批評子にきちんとアニメについて語っていない、考えをめぐらせていない文が目についているので、ここでちょっと触れておきたい。
僕としては、セルアニメーションでの「リアル」とはここですでに触れた。それこそイングランド戦五人抜き目前のマラドーナからインターセプトした翼君がカウンタでゴール!すら描出可能なのだ。「ルパン三世」の昔から言われ続けてきたことなんだけど。
ちゃんと説明しなさい。
気になっていたのが、前回のコメントで〈ひょっとしたら手段と目的が逆さまになっているのは小生のアニメーション観かもしれない〉というところだ。
それは国産アニメの根源に触れる部分なので…。
(略)
「リアル」に話を戻すけど、取り上げなければならないのが『ヱヴァンゲリヲン新劇場版 破』(以下ヱヴァ破)との関係。
始まったよ、妄想が。
拙ブログで取り上げた『ヱヴァ破』では以前のシリーズでは考えられなかったキャラクタ造形について触れたが、それらはある種の健全化と言ってもいい。1990年代後半の(深夜枠)TVアニメの多くは「エヴァンゲリオン」の影響下にあったとも言える。でもそれは病的な意味の話で、謎が謎を呼ぶという設定も含めこんなに病んでいて、中には壊れた人格のキャラでどないせえっちゅうねんと思えるモノとか果ては作者がイッちまってるようなモノまで出てきた。(起源の探究はさておく)
その反動というわけでもないのだろうが、それこそセーラー服がパワードスーツを着ない、健全なオタク向けアニメもつくられるようになった。しかし、語られている物語がそもそも、
ありえない。
ありえないんだよ。かような学園モノは。いくら目がテンにならないとか、あせりを表現するのに後頭部に大きな汗の滴を描かない等を徹底しても、高校野球部マネジがドラッカーを読んでも、『時をかける少女』の主役三人のような男女関係はありえないし、「涼宮ハルヒの憂鬱」マイナスSFネタのようなさわやかで楽しい高校生活などもありえない。
物語上のリアリズムを避ける手法が巧妙化したという見方もできるけど。
リアリズムがいいの?
まさか、そんな奴はオタクじゃないどころかアニメーション好きですらない。
君はまだましさ、物語上のリアリズムと表現上のリアリズムを分けているからね。とにかく、「こんな病的なアニメが社会現象を巻き起こすなんて、社会の方が病んでいる」なんてところで思考停止していた人は、オタクのマーケットからは置いてきぼりにされていることに気づいたら?という段階にさしかかったのは事実でしょう。
その実ひそかに『カラフル』に期待してんだろ?
(略)
もうひとつ触れておきたいのがTVシリーズのエピソードの豪華版=劇場公開版にたいしてだ。派手好きではない小生はかような考え方には諸手はあげないが、劇場公開映画物語には、ある程度の豪華さは必要だと思っている。エンタテインメントとして面白いという基準は、評価の物差しから外したことはないつもりだ。
盛んに作られているテレビアニメやドラマのスピンオフや企画を大型化、ブラッシュアップ化した作品の劇場公開は、集客力も強いし、今後も量産されていくでしょう。
スクリーン数は少ないが、入りは上々だった。海外市場もそこそこ見込めるでしょう。
にしても本作はここまで観客を絞っているのに。
一見さんお断りな内容だよね。
だから頭掴まれたのかい?
良くも悪くも凝った拵えだし、オタク連中のなかにも設定についてこれない客が少なくないと思う。客を裏切るなとは言わないが、ファンを続けていてそれ以上のものが受け取れるかどうかは原作次第というのも気になる。
じゃあ『東のエデン劇場版Ⅱ』はどうなるの?
作者の自己満足とばっさりやるのは簡単だが、自己満足であれ他者へのサービスであれ、あそこまでのことを言い切った作品は『おもひでぽろぽろ』以来だと思う。
また絶賛だよ。
で僕としては『ヱヴァンゲリヲン新劇場版Q~完結編』への影響を楽しみにしているのさ。
シャレにならないなそれ。
遅ればせながら観た。
「エヴァ好きなら絶対にハマる」と勧められるままテレビシリーズにハマってしまった僕。恥ずかしい告白だ。そこ、笑っていいぞ。
で?浮かない顔してるけど。
それにしても普段映画を観に劇場へ足を運ばないであろう観客達のマナーの悪さは何とかならないものか?小生の隣席に居た20~30代男性は片や脚を投げ出し、片方は本編クライマックス中に携帯電話でメールをチェックしていた。後席の者は上映途中で立つ際小生の頭を掴んだ。どうやら私見とは違ってあまり面白くなかったらしい。
ぶちまけたね。
本題の前に言っておきたかったからさ。
(略)
主人公は変人涼宮ハルヒだが、事実上キョンが主人公であり、神のごとき存在であるハルヒが憂鬱のあまり無自覚に「セカイ」を破壊したり変造してしまいかねない。「常識ある日常」を守るため、ロリ顔巨乳未来人である朝比奈ミクルも、どう見ても元ネタは綾波だろ?って宇宙人長門有希も、キザなイケメン超能力者古泉一樹も涼宮ハルヒが立ち上げたSOS団なる文芸部モドキに入って共に遊ぶ。
ちょっと、テレビアニメまたは原作未読で初めて本文を読んだ方には理解不能だよ。
いや、本編中未だ明らかになっていない謎はある。情報統合思念体や古泉が所属する機関や、禁則事項だらけでミクルを送り込んだ組織はつまびらかにはされていない。
だーらわかんねーっつーの。
唯一キョンが、たまにハルヒの傍若無人さを叱る。するとハルヒは反省する、もしくはそぶりが断片的にインサートされる。まれには「涼宮ハルヒの溜息」のように、キョンがハルヒの振る舞いにブチ切れることもあるが、それが今度は××がブチ切れた…というネタ。
読者のみなさん、置いてきぼりにしてごめんなさい。
実際にロケーションしたのであろう背景美術に、多少の誇張はあっても必要最小限のデフォルメに抑えたキャラクターたちがおりなす高校生活の、ほんのちょっとした裂け目から垣間見える異世界を、主人公涼宮ハルヒの相手役である狂言回し役キョンが解説し、異世界から日常への橋渡し役を演じる。
キャラの設定や配置なんかは「水戸黄門」並みの黄金パターンじゃないのかね?
本シリーズは、ちゃんと終わるよ。
ストーリーは所謂セカイ系なのだが、謎(ウラ事情)を知っているのは涼宮ハルヒを除いた、主な登場人物と視聴者という「ネタの共有」がキモだ。つまり謎が謎を呼ぶ「エヴァンゲリオン」とはネタバラシ構造が逆転しているわけで、SOS団中唯一の常識人として描かれているキョンの常識ある行動ともあいまって、安心して見ていられる学園放課後ちょいリアルSFコメディ-と、まとまったか?
さらに本作『涼宮ハルヒの消失』はテレビシリーズの一編「サムデイインザレイン」直後の時制からのパラレルワールドものなのだから、テレビシリーズでの作品世界との違い、さらには本作との「接続」をパズルピースを嵌めるがごとく繫げてゆくのも楽しみのひとつ。
持ち上げるねしかし。
長門有希は俺のヨメ。
はいはい。
心配だったのはテレビドラマやテレビアニメが、シリーズ番外やスピンオフ、やや大がかりなエピソードがアレンジされて劇場映画化され、一定の市場を獲得(?)するご時世に、いや、本作は完全なクローズドファンやギャラリー向けのため、興行は大丈夫なのか?と思ったのことだが、杞憂だったようだ。
そんなに入ってたんだ。
入ってたね、しかしだ。
テレビシリーズを観ていないとわからない部分が多々あるので少数館公開は仕方がないが、(略)
で、小生はといえば、見たかったリアルヒューマン長門有希が萌え要素てんこ盛りで登場するのがまずはうれしい。そしてしおりや入部届けなど小道具の扱いからもうかがい知れるように、TVシリーズとの設定の整合に神経を使いすぎるあまり、ともすれば散漫になってしまいがちな物語運びが、とても丁寧に構成されている。スタッフ一人ひとりがキャラクターに愛情をもっている。
絶賛だぜおい。
ちなみに物語中の『消失』直後に登場する文芸部員長門が読んでいるハードカバーだが、小生の世代には懐かしい装丁。
ただ、感想や批評子にきちんとアニメについて語っていない、考えをめぐらせていない文が目についているので、ここでちょっと触れておきたい。
僕としては、セルアニメーションでの「リアル」とはここですでに触れた。それこそイングランド戦五人抜き目前のマラドーナからインターセプトした翼君がカウンタでゴール!すら描出可能なのだ。「ルパン三世」の昔から言われ続けてきたことなんだけど。
ちゃんと説明しなさい。
気になっていたのが、前回のコメントで〈ひょっとしたら手段と目的が逆さまになっているのは小生のアニメーション観かもしれない〉というところだ。
それは国産アニメの根源に触れる部分なので…。
(略)
「リアル」に話を戻すけど、取り上げなければならないのが『ヱヴァンゲリヲン新劇場版 破』(以下ヱヴァ破)との関係。
始まったよ、妄想が。
拙ブログで取り上げた『ヱヴァ破』では以前のシリーズでは考えられなかったキャラクタ造形について触れたが、それらはある種の健全化と言ってもいい。1990年代後半の(深夜枠)TVアニメの多くは「エヴァンゲリオン」の影響下にあったとも言える。でもそれは病的な意味の話で、謎が謎を呼ぶという設定も含めこんなに病んでいて、中には壊れた人格のキャラでどないせえっちゅうねんと思えるモノとか果ては作者がイッちまってるようなモノまで出てきた。(起源の探究はさておく)
その反動というわけでもないのだろうが、それこそセーラー服がパワードスーツを着ない、健全なオタク向けアニメもつくられるようになった。しかし、語られている物語がそもそも、
ありえない。
ありえないんだよ。かような学園モノは。いくら目がテンにならないとか、あせりを表現するのに後頭部に大きな汗の滴を描かない等を徹底しても、高校野球部マネジがドラッカーを読んでも、『時をかける少女』の主役三人のような男女関係はありえないし、「涼宮ハルヒの憂鬱」マイナスSFネタのようなさわやかで楽しい高校生活などもありえない。
物語上のリアリズムを避ける手法が巧妙化したという見方もできるけど。
リアリズムがいいの?
まさか、そんな奴はオタクじゃないどころかアニメーション好きですらない。
君はまだましさ、物語上のリアリズムと表現上のリアリズムを分けているからね。とにかく、「こんな病的なアニメが社会現象を巻き起こすなんて、社会の方が病んでいる」なんてところで思考停止していた人は、オタクのマーケットからは置いてきぼりにされていることに気づいたら?という段階にさしかかったのは事実でしょう。
その実ひそかに『カラフル』に期待してんだろ?
(略)
もうひとつ触れておきたいのがTVシリーズのエピソードの豪華版=劇場公開版にたいしてだ。派手好きではない小生はかような考え方には諸手はあげないが、劇場公開映画物語には、ある程度の豪華さは必要だと思っている。エンタテインメントとして面白いという基準は、評価の物差しから外したことはないつもりだ。
盛んに作られているテレビアニメやドラマのスピンオフや企画を大型化、ブラッシュアップ化した作品の劇場公開は、集客力も強いし、今後も量産されていくでしょう。
スクリーン数は少ないが、入りは上々だった。海外市場もそこそこ見込めるでしょう。
にしても本作はここまで観客を絞っているのに。
一見さんお断りな内容だよね。
だから頭掴まれたのかい?
良くも悪くも凝った拵えだし、オタク連中のなかにも設定についてこれない客が少なくないと思う。客を裏切るなとは言わないが、ファンを続けていてそれ以上のものが受け取れるかどうかは原作次第というのも気になる。
じゃあ『東のエデン劇場版Ⅱ』はどうなるの?
作者の自己満足とばっさりやるのは簡単だが、自己満足であれ他者へのサービスであれ、あそこまでのことを言い切った作品は『おもひでぽろぽろ』以来だと思う。
また絶賛だよ。
で僕としては『ヱヴァンゲリヲン新劇場版Q~完結編』への影響を楽しみにしているのさ。
シャレにならないなそれ。