ほぼ満員の劇場内で泣いていなかったのは私だけだったのかもしれない。世評と私見とがあまりにも違うため、感想は書かずにおこうと思ったのだが、ハルカさんの呼びかけでアップします。ご意見は、うっちゃらずに聞きますのでコメントをください。
北朝鮮でつましく幸福な生活を送っていた一家、その妊娠している妻が結核に罹る。薬は高価で身近では入手が不可能だ。そこで夫は息子を家に残し、薬を求めて富のあるところへ命がけで出稼ぎに行く話だ。
つらつら思ったことを記すに、
荒削りと言うなかれ、美術や脚本のディテールや、よくも荒地やハゲ山のロケ地を見つけたものだと感心しきり、さらに手の込んだオープンセットがもつ迫力は、実在する脱北者の方への取材から得られたものなのだから。
結核が不治の病でなくなった原因は第一に科学技術の進歩があるが、地政的経済的要因もある。地球上で富の偏在がある以上、結核はいまだ不治の病である土地も当然のごとくある。
本作はそんな、富の偏在を糾弾する作品ではない。清く貧しく美しく、そして妻が不治の病でとなれば泣ける映画であることは想像がつく。感情移入器としてのキャラクタ造型が粘着質なのは韓国映画ではおなじみだし、「ああ、国境が在るという矛盾ね」と、「一家の悲劇ね」で片づけても差し支えあるまいという意見もあろう。
それでも、強制収容所での、看守の虐待を見て「何てことしやがる」と頭に血がのぼるのは当然だ。
列車内で官憲の耳目もはばからず携帯電話で会話する父子の激情ぶりに感情をゆさぶられるのも当然だ。
しかしだ。
落涙までは至らない。もともと涙腺はゆるい方なのに。
なぜ泣かないのかと問われれば、貧困や飢餓の経験があるせいでもなければ犬肉を食した経験があるからではない。
想像してしまうのだ。
此処での豊かさと彼方の悲惨とが地続きなのは物理的な海の向こう、国境線の彼方というだけの想像力では済まず、私はさらに、歴史的時空的な想像力を働かせてしまう。
どうしても、時代のめぐりあわせ如何によっては、自分は政治犯である妊婦の腹に蹴りを入れる看守の立場になっていはしまいか?資本主義に洗脳され、退廃文化に染まった者たちを思想改造する職務に彼以上に喜々として励んでいはしまいか?と考えてしまうのだ。ちょうど、『人間の条件』の渡合軍曹や、『ブラザーフッド』の反共自警団のように。
とくに政治歴史的題材を扱うシリアスな社会派ドラマでは、観客から怒りをかう、憎しみの対象となる登場人物の残虐行為も、ひょっとしたら愛する者を守るがゆえの蛮行なのではないだろうか?と考える。もちろん、こんなことは小生のようなひねくれた天の邪鬼が考えることであって、普通の観客は家族愛や南北の格差、携帯電話での息子と父の会話にすすり泣くことだろう。
印象に残った場面が、脱北し、韓国で働く父親が雇い主に「神は豊かな国にしかいないのですか!?」と詰め寄るシーンだ。
正論である。父親にとっては小さな幸福でいい。神などいい。親子三人が暮らせればというのが本音だ。それを経済的豊かさで覆ってしまうのは勘違いどころかはっきり間違いではないかというシーンがあることからも、単純な反北朝鮮作品ではない。
政治体制がチェンジすれば、問題の多くは解決するのか?これも疑問だ。
完全な情報統制が不可能である現在、ある国において、少数の富める者と圧倒的多数の貧者という状況が続けば暴動が起きる。彼の国ではどう対処しているのだろう。中間層(保守政治は中間層のメンテナンスを常に考える)と低所得層に僅かな差をつくり、圧倒的多数の中間層と、それより少しばかり多数の低所得層を設けていがみ合わせたり、不満の矛先を下の層へむけさせてガス抜きをしているのだろうか。古典的で今も各国で垣間見れる政策だが。
もちろん、国民皆貧困(もしくは中流意識)化は権力維持の基盤にはなっているだろうが。そして、(数度は未遂があったであろう)クーデターの芽を摘み取るシステムなど、(外交はさておいて)政権維持のノウハウをどうやって入手しているのか?友好国からか?さらに小生が最も知りたいのは、庶民に暴動が起こらないメンタリティの歴史や伝統とはいかなるものなのかだ。隣国の豊かさが情報として入ってきているにもかかわらず現状の貧しさに甘んじている生活者としてのメンタリティとその伝統のモトとなった部分を知りたい。儒教国だから?乙未事変などによって右翼が根こそぎになっていること?事大主義とか両班ら中間層による人口の中膨れピラミッド構造?
朝鮮民族の国民性(習俗)を折口信夫や柳田國男くらい探り、掘り下げる映像作家がいれば喜んで観に行こう。韓国にも今村昌平や岡本喜八はいると思いたいし。
知人が漏らしていたのだが、何らかのきっかけで彼の国の政府がハジけ二千万人が一挙に難民化して困るのは韓国も中国もロシアも日本もパチンコ屋の社長も同様だろうということ。百万人餓死した程度ではまだまだ…せめて半減とかなどと言っていた。血も涙もない考えだが示唆的だ。どなたかさらなるご教示を願います。
余談だが、一民族一国家になれば、アジア勢初のサッカーワールドカップ優勝を実現するのは朝鮮民族だと思う。
DNAの半分は、朝鮮半島から来ている私の繰り言である。
北朝鮮でつましく幸福な生活を送っていた一家、その妊娠している妻が結核に罹る。薬は高価で身近では入手が不可能だ。そこで夫は息子を家に残し、薬を求めて富のあるところへ命がけで出稼ぎに行く話だ。
つらつら思ったことを記すに、
荒削りと言うなかれ、美術や脚本のディテールや、よくも荒地やハゲ山のロケ地を見つけたものだと感心しきり、さらに手の込んだオープンセットがもつ迫力は、実在する脱北者の方への取材から得られたものなのだから。
結核が不治の病でなくなった原因は第一に科学技術の進歩があるが、地政的経済的要因もある。地球上で富の偏在がある以上、結核はいまだ不治の病である土地も当然のごとくある。
本作はそんな、富の偏在を糾弾する作品ではない。清く貧しく美しく、そして妻が不治の病でとなれば泣ける映画であることは想像がつく。感情移入器としてのキャラクタ造型が粘着質なのは韓国映画ではおなじみだし、「ああ、国境が在るという矛盾ね」と、「一家の悲劇ね」で片づけても差し支えあるまいという意見もあろう。
それでも、強制収容所での、看守の虐待を見て「何てことしやがる」と頭に血がのぼるのは当然だ。
列車内で官憲の耳目もはばからず携帯電話で会話する父子の激情ぶりに感情をゆさぶられるのも当然だ。
しかしだ。
落涙までは至らない。もともと涙腺はゆるい方なのに。
なぜ泣かないのかと問われれば、貧困や飢餓の経験があるせいでもなければ犬肉を食した経験があるからではない。
想像してしまうのだ。
此処での豊かさと彼方の悲惨とが地続きなのは物理的な海の向こう、国境線の彼方というだけの想像力では済まず、私はさらに、歴史的時空的な想像力を働かせてしまう。
どうしても、時代のめぐりあわせ如何によっては、自分は政治犯である妊婦の腹に蹴りを入れる看守の立場になっていはしまいか?資本主義に洗脳され、退廃文化に染まった者たちを思想改造する職務に彼以上に喜々として励んでいはしまいか?と考えてしまうのだ。ちょうど、『人間の条件』の渡合軍曹や、『ブラザーフッド』の反共自警団のように。
とくに政治歴史的題材を扱うシリアスな社会派ドラマでは、観客から怒りをかう、憎しみの対象となる登場人物の残虐行為も、ひょっとしたら愛する者を守るがゆえの蛮行なのではないだろうか?と考える。もちろん、こんなことは小生のようなひねくれた天の邪鬼が考えることであって、普通の観客は家族愛や南北の格差、携帯電話での息子と父の会話にすすり泣くことだろう。
印象に残った場面が、脱北し、韓国で働く父親が雇い主に「神は豊かな国にしかいないのですか!?」と詰め寄るシーンだ。
正論である。父親にとっては小さな幸福でいい。神などいい。親子三人が暮らせればというのが本音だ。それを経済的豊かさで覆ってしまうのは勘違いどころかはっきり間違いではないかというシーンがあることからも、単純な反北朝鮮作品ではない。
政治体制がチェンジすれば、問題の多くは解決するのか?これも疑問だ。
完全な情報統制が不可能である現在、ある国において、少数の富める者と圧倒的多数の貧者という状況が続けば暴動が起きる。彼の国ではどう対処しているのだろう。中間層(保守政治は中間層のメンテナンスを常に考える)と低所得層に僅かな差をつくり、圧倒的多数の中間層と、それより少しばかり多数の低所得層を設けていがみ合わせたり、不満の矛先を下の層へむけさせてガス抜きをしているのだろうか。古典的で今も各国で垣間見れる政策だが。
もちろん、国民皆貧困(もしくは中流意識)化は権力維持の基盤にはなっているだろうが。そして、(数度は未遂があったであろう)クーデターの芽を摘み取るシステムなど、(外交はさておいて)政権維持のノウハウをどうやって入手しているのか?友好国からか?さらに小生が最も知りたいのは、庶民に暴動が起こらないメンタリティの歴史や伝統とはいかなるものなのかだ。隣国の豊かさが情報として入ってきているにもかかわらず現状の貧しさに甘んじている生活者としてのメンタリティとその伝統のモトとなった部分を知りたい。儒教国だから?乙未事変などによって右翼が根こそぎになっていること?事大主義とか両班ら中間層による人口の中膨れピラミッド構造?
朝鮮民族の国民性(習俗)を折口信夫や柳田國男くらい探り、掘り下げる映像作家がいれば喜んで観に行こう。韓国にも今村昌平や岡本喜八はいると思いたいし。
知人が漏らしていたのだが、何らかのきっかけで彼の国の政府がハジけ二千万人が一挙に難民化して困るのは韓国も中国もロシアも日本もパチンコ屋の社長も同様だろうということ。百万人餓死した程度ではまだまだ…せめて半減とかなどと言っていた。血も涙もない考えだが示唆的だ。どなたかさらなるご教示を願います。
余談だが、一民族一国家になれば、アジア勢初のサッカーワールドカップ優勝を実現するのは朝鮮民族だと思う。
DNAの半分は、朝鮮半島から来ている私の繰り言である。