満月の翌日のスーパームーンの日。昼間、KNB放送のラジオ出演で、本当に楽しくて笑いっぱなしの生放送(約10分ほど?)を楽しみました。話は主に私が今、やっている「立山町定住コンシェルジュ」というお仕事についてでした。


耳に心地よい、透明感あふれる声の女性アナウンサーさんと、フィッシュ&チップスという、富山在住の2人組のお笑い芸人さん。質問上手な3人に囲まれ、楽しくおしゃべりしながらも、話がちょっと逸れそうになると、絶妙なタイミングで、軌道を修正してくれるアナウンサーさんの手腕におののきながらも、あっという間の生放送でした。



ラジオ…

実はラジオでお話することは、ひそかな夢だったのです。


なぜラジオ…かといえば、ラジオって、究極、「声」だけで、話の面白さ、臨場感を伝えなければならない。

言ってみれば、落語家さんと同じだと思うのです。



一方、テレビって、映像+「おしゃべり」があるから、たいして面白い話術でなくても、話す側が笑っている顔がテレビにど~んと映し出されれば、視聴者もつられて、笑ってしまうこともあるかもしれない。


しかも、テロップで、「笑」とか入ると、もう、最悪です(笑)。



しかし、ラジオはそれこそ、声だけの勝負。

会話の温度を音声だけで伝えなければなりません。



私は落語家さんの仕事を心から尊敬しているのですが、それは、たった座布団1枚で、お客様と対峙する仕事だからです。武器は、究極、「声」だけ。



笑ってくれても、笑ってくれなくても、

お客様からの反応を、その身ひとつでダイレクトに受け止めなくてはならない仕事。

まさに、真剣勝負そのもの。



それと同じかおりがラジオにはするのです。


そういえば、「落語」の面白みって、それこそ、聞き手の持っている知識や経験等により、物語の解釈が一人ひとり違うことだと誰かが書いていたっけ。


同じ噺を聞くにしても、その人の持っている世界観で、とらえ方、解釈は変わってくる。

一律の同じ解釈を求められるテレビと違うところ。



そういう点も魅力なんだよねぇ…。



ということで、私にラジオ番組、持たせてくれないかな?笑


ニャハハ~!

ここ、立山町に移住してきてはや、半年。
私の目にする景色、状況は、めまぐるしい勢いで変化しています。

ここ立山町への移住・定住を促進させるのが、今の私の最大ミッションなのですが、実際にかかわってみると、立山町に縁もゆかりもない、私のような移住者(Iターン)より、富山出身者で、今は就職などで、県外に出ている人たちを、この地に呼び戻す(Uターン)の方が、可能性としては大きな力を秘めているなぁ、と思います。


それだけ富山の人は、自分の故郷への愛が深い。


富山出身者で、東京在住の若者たちのネットワーク、「アコイコ」の皆さんの活動を見ていても、それをヒシヒシと感じます。


さて、それ以外にも、「地域をおこす」をキーワードに、千垣の自宅を使って「千垣Bunkamuraプロジェクト」という企画を行っています。これは、「文化」をひとつのテーマに、移住定住のファースト・ステップとして、まずは、「立山町のファンになってもらう」ことを狙っています。


8月の1回目は「夏野菜を使った料理&移住おしゃべり会」、先日やった第2回目は、「あなたも今日からライター講座」という切り口で、文章書きのコツなどをお伝えするイベントを開催しました。このBunkamuraプロジェクトはこれからも月1回行っていく予定です。


次の企画、何にしようかな、とイベントが終わったそばから、考えていました。


今回、残念ながらライター講座に参加できずに、次回、開催される際は参加したいとの声もいただいていたので、今月も「ライター講座」にしようかしら?と。


それが、ここ数日のFBでの投稿で、とある友人とのやり取りで、「自分の本当に好きなこと」「やりたいもの」に火をつけられました。


それは「詩」です。


私は昔、詩人になりたかったことがありました。

そして、ボクサーになりたい、と憧れた時もありました(ロバート・デニーロの「レイジング・ブル」というボクシング映画を見て)

結局、詩人にも、ボクサーにもならずにライターになりました。


だけども、私がこれまで生きてきて、要所、要所で出逢った沢山の「詩」に、時に励まされたり、生きるパワーをもらったり、また明日を生きようと、勇気をもらってきました。


そんな無数の「詩」たち。



昨日は、友人とのコメントのやり取りで、そんな自分の中の眠っていた「魂」に火をつけられたようが気がしました。


詩なんて、働く上で何の役にも立たないかもしれない。
だけども、生きる上では、何かの役に立つかもしれない。


ホイットマン、谷川俊太郎、寺山修司、ソロー。

ということで、次回のBunkamuraプロジェクトは、「生きる上で、ちょっぴり役に立つかもしれない文学講座ー叫ぶ詩人の会」
にしようかしら? なんて考えている私です。


誰だって、好きな詩(歌の歌詞でもいいのです)を1つは持っていると思います。それを持参いただいて、それぞれに読んでいただく。

そこからはジャズライブみたいに「即興」です。
どんな化学反応が起きるか、そこから、何か生まれるのか。


答えは、神のみぞ、知る。


(興味ある人、いらっしゃいますか??笑)



「あなたには青空が見えていいわね。私には見えないのに
…」という人がいる。
青空を見るためには、
たとえば、今、自分がいる「籠」から外へ飛び出したり、...
目の前にあるハードルをジャンプしたり、
ジャンプに失敗して、転んで、痛い思いをして、そこから
また、立ち上がったり…が必要なのかもしれない。

籠の中にじっとして、安心・安全な場所に守られているの
に、まだ見たこともないような青空が自分の目の前に現れ
てくれるのを待つのは、都合のいい夢物語なのかもしれな
い。

色んな行動をしてこそ、自分だけが仰げる「青空」。
もしかしたら、あなたが今「青空」だと思っている空より
も、この世には、もっと澄んだ、抜けるような空があるの
かもしれない、ということ。

話は変わって、私はよく「地雷踏み」と言われるのだけど
(笑)、地雷を踏むのも、それだけたくさん歩いたり、動
き回ったりするから、だとも思う。

今いる場所から動かず、じっとしていれば、地雷を踏むこ
とはないけれど、この世には、まだ私が知らない、抜ける
ような青空があることも、また、知ることはできないのか
もしれない。

「君に青空は見えるか」

え~全国20名のdekonekoブログファンの皆様、お久しぶりでやんす♪

しばし、投稿をお休みしている間に熱心なファンの方から「もうブログ、やめちゃったんですか?」とか「いつ再開するですか?」といったお問い合わせが殺到したかどうかは別にして、私はすこぶる元気にしております。

突然ですが、埼玉から富山に引っ越ししました♪

4月1日からは、富山の立山町役場から委託を受けて地域の活性化&定住者を増やす任務に就きました。これから富山県と、そして、立山町がますます元気で盛り上がっていくよう、そのためのいろいろなお手伝いができたら幸甚に存じる次第であります。

こほん。

で、こちらの生活ですがすこぶる快調です。

まず、今のお家は、君、驚くことなかれ!(君死にたまふことなかれ風)といいたい、一戸建ての10DK!

ヒャダ、奥さん、10個もお部屋があるんですってよ!しかも、わたくし単身の身で(爆)

10人子どもがいても余裕のよっちゃんイカ、ってことですね!

なんで、お友達が遊びに来てくれたら泊りはもちろん、軽く合宿できる状態でやんす。



毎朝、神社へお参りにするのが日課になっておりまして、天気が良ければ片道30分ほどてくてく歩いて「雄山神社」という立山権現の象徴のような存在である神社へお参りに行きます。まだこのエリアは雪が残っています。結構、深い雪です。

たぶん東京に比べるとまだまだ、だいぶ寒いです。これからは過ごしやすい季節になりますが、本格的な冬の到来が来たら、何かしらの暖房対策をせねばいかんなぁと思います。



こないだもてくてく歩いていたら、ふきのとうを見つけて両手いっぱいに摘んできました。かえって茹でて、お醤油とみりんで簡単に味付けしたら、ご飯が止まらなくなるくらい、ご飯がススム君で参りました!!




とまぁ、いろいろな意味で豊かな暮らしをはじめました。


普段は、立山町にある温泉・レストラン・宿泊施設などが入った「グリーンパーク吉峰」で、イベントのお手伝いをしたり、物産品を売るためのアイデアを考えたり、ゆくゆくは宿泊ホテルのフロントなどもやっていく予定です。



とにかく、今の私は水を得た魚のように暮らしております。


もし、Facebookをされているようでしたら、私が書いているコーナー「立山暮らし」を見てみてくださいね!

ここに日々の私の暮らしの中で感じる様々なこと、少しずつお伝えしていく予定であります。



もちろん、こちらのブログもこれからも更新していきますので、引き続きご贔屓にお願いしますちゃ♪



で、また引っ越しの話の続き。

今の仕事の引き継ぎなどの関係で、できれば、4月1日スタートでなく、4月半ば~後半からの仕事はじめに出来ないでしょうか…と低姿勢に、町にお願いしていたこの間のこと。


で、結局、委任式などがあるから1日から来てほしいのですよ、と町の役場の方。

「ではわかりました!そのようにいたします」と言ってから、今の住まいの契約解除などを始めた訳で。


で、この一連の作業の中で、ふいに、「13」という数字があらゆるとことに顔を出したのだ。


まず、解約の日の電話を入れたのが、3月13日だった。
で、電話の窓口の方が「では、解約は1か月後の、4月13日を持って解約といたします。
ちなみに、お客様が入居されたのは2013年の9月13日だったので、住まいにかけている保険の解除もご自分でしてください…云々」


ほほぉ。


あらゆるシーンで13がキーワードなんだなぁ…と思っていたら、その原点は、
昨年2014年12月13日にすべて集約されていることに気がついたのだ。

というのも、その日は柴又で「矢切の渡し」をした日。
船頭さんが漕いでくれる舟で川を渡りながら、こっち(此岸)から、あっち(彼岸)へ行き、またこっち(此岸)に戻ってきたような気持ちになったものだった。
そして、心をこめて書いた大事な手紙をこの日、投函したのだった。



12月13日。
この日は旧暦の「正月事始め」に当たる日。

新しい年を迎えるにあたり、お正月の準備をする日だそうな。





全てはあの日から、新しい年が始まっていたのだなぁ…。