半身浴なう。
しかし仏典は、何度繰り返し読んでも飽きない。
読むたびに新しい気づきがある。
読むたびに、仏様の説法を聴ける。
これは素晴らしいことだ。
Hello, again, Buddha!!
ページをめくれば、説法がはじまる。
いつだって、そのときの自分にふさわしい説法を仏様はしてくださっている。
説法が繰り広げられているのは、なにも仏典の中のみではない。
日々の暮らしのあらゆる場所、あらゆる瞬間において、仏様は真理の法を説いて下さっている。
自燈明、法燈明。
自分をともしびとし、また、
真理の法をともしびとし、
歩んでいけ。
という、教え。
なにかに依存して生きていくんじゃないぞ、
ということ。
真の信仰はなにかにすがることじゃない。
とにかく仏典は読むたび、感動はますます深くなるばかりである。
(T_T)
そして真理の法は、いつでもどこでも誰にでも当てはまる。
仏様は、あらゆるものの中にいて、
そのあらゆるものの中から、常に法を説いて下さっている。
問題を解決する心、乗り越えて行くチカラは、みーんなの中に備わっている。
と教わって、
感動した。
話は変わって、
うちの職場は、女性職員の誰かが常に産休に入っている。
そのことについて、
「考えてみたらおめでたい職場ですよね」
と、職場が同じの元カレに以前(付き合ってた当時)言ったら、
「うん。つまり、常に誰かがセックスしてるヤラしい職場ってことだ」
と言うので、
(まあ!あきれた!)
と閉口したが、
同じ物事を表現するのにも、色々な表現のしかたが存在するということをその時学んだ。
社労士の過去問を解いていると、
ひっかけ問題は、だいたい表現をちょこっと変えてあるから、
ここ数日まんまと引っかかってる。
同じ物事を表現するのにも、色々な表現のしかたが存在するということを、あらためて学んだ。
そして、仏典同様、労働基準法は読むたび新しい発見と気づきがある。
うぅっ、感動した。
。・゜・(ノД`)・゜・。
と、感動したままの気持ちでとめておけば、良かったんだけど、
(こんなに毎回新しい発見があるってことは、自分の理解が浅いせいだ。どうすんだ!試験まであと五個も六個も新しい法律を学んでいかなきゃいけないのに、労働基準法でこんな時間かかっていたら試験までに間に合わないぞ!)と、自分を叱咤して、その結果先日から極度の胃痛が発生している。
おなかが空けば胃がシクシク。
ものを食べたら食べたで、シクシク。
授業を受けてシクシク。
うー、シクシク。
ばかみたい。
想像で参っちゃってる自分なんだ。
と思いながら、さきほど丸ノ内線の車内の中吊り広告の
伊勢谷友介氏のご尊顔に癒されて
帰宅した。
うにゃー。
でもこうして、瞬間瞬間自分のやりたいことをやらせてもらえて、
親や友達にも応援してもらえて、
真剣に生きて生かされていること、
ほんとはもう、それだけでもう、じゅうぶん幸せなんだ。
うん、こうしてブログを書いていたら、ちょっと楽になった。
Thank you for everything!!!
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