好きな俳優、伊勢谷友介さん。
かっこいい。
伊勢谷さんが、白洲次郎の役を前にNHKで演じておられて、あれから好きになった気がする。
さきほどふと伊勢谷さんが演じていた白洲次郎を思い出した。
あと、わたしは職場に馴染んでいるのか、浮いてるのか、この頃よく分からなくなってしまった。
自分では馴染んでいると思っていたが、
うーん、よく分からない。
ま、どっちでもいいんだけど。
この世は無我。自分がいなくちゃいけないなんて場所はなくて、自分がいなければいないで、回ってくのが世の中。
だからこそ、
自分はどうありたいのか。
何をさせて頂きたいのか。
稲葉さんは、「挑めよ儚いこの時に」という歌詞で、仏教でいう無我の教えを説いて下さっている、と、私は勝手にとらえている。
わたしは今日も仏様に向かって念じるのだ。
「私の命が最大限輝き、人様のお役に立つべく命を発揮させて頂ける場所に、私をお導きください。」
と。
毎朝そう念じたあと、職場に向かふ。
だから、仏様によって導かれている場所が、職場であると考えることもできるし、
つまり、
いつだってどこだって誰とだって、
その日頂いたご縁はすべて、仏様のお導きによる尊いご縁ととらえて目の前の人を大切にさせて頂けばよいと思う。
自分の命を最大限発揮させて頂き、人様のお役に立たせて頂ければ自分の命が喜び、仏様のみ心に沿って生きていくことができると思う。
一時期、仏教の真理に沿って生きてゆくにはどうしたらいいんだろうと、本当に悩んだが、
難しく考えるのはもうやめつつある。
わたしは、
人様を笑顔にしたいという思いが強いということに気付いたので、そのシンプルな思いを、余すことなく表に出して生きていこう、そしたら、なんとかなる気がすると思って、ここ2~3年やってきた。
「まずは人様ベース」で生きると、心の学びの量が違う。幸せ感がハンパなく本物だ。
人生かけて人生を学んでいくなら、自己本位の見方も時にはしてみたらよいと思うし、時には利他の精神で物事を見てみるのもよいと思う。
自分がこういう物事の見方をしたときは、
こういう結果になり、
自分がこういう物事の見方をしたときは、
こういう結果になった。
というふうに自分観察データをつけていけば、
自ずと、自分がどういう考え方や物事の捉え方をしたときが、心が楽で本当の幸せに近づけたか分かると思う。
立教大学在学中に、唯識論の恩師横山紘一教授が、「一人一宇宙」という深い言葉を講義中に教えて下さり、今でも私は、人間関係でつまづきそうになると、そのお言葉を思い出して励まされる。
大切なのは、この世において「自ら」が念じ、「自ら」が縁に働きかけていくことだ、と確信する。
ばあちゃんの時代から、うちは三世代仏教徒だが、わたしはフラフラ不埒な20代を送り、しかしこの頃また真理のレールを自ら求め始めている気がする。
仏様の真理の世界を、まずは職場や友人とのご縁に展開させていくことが、仏様のみ心に沿った生き方。
・・・・って書くと、なんか宗教勧誘くさくてキモいか。
いやいやいや違うのよ。
でもキモいかな。
書くのやめた。
さて今夜は、新高円寺のつけ麺屋にタメの幼馴染の男の子と行った。
ああもうほんとに美味しかった。
満足です。
幼馴染よ、良いお店を教えてくれてありがとう。
わたしは、初めて行くので奮発?して味玉のせを注文。
幼馴染は常連なので普通のつけ麺。
カウンターに並んで食べてたら、
わたしが半分くらい食べたところで、
わたしのどんぶりを幼馴染が覗きこみ、
まだ味玉が手つかずで残っていることを見つけ、
「あれ、味玉いらないの?」
と言うので、
「ううん食べるよ。じゃ半分あげるよ。美味しいお店を紹介してくれたお礼。」
と言って、はしで半分に味玉を割って、
レンゲで幼馴染のどんぶりに入れてあげた。
味玉をお布施しまふ。ポチャン。
「マジで!やったぁ!」
と喜んでいた。
感覚が若いな。タメの男の子ってこんな感じなのか?
5年以上、20代の男子と触れ合っていなかったので、
この幼馴染の言動は新鮮だ。
ワレワレハ花ノ昭和58年生マレ組。
東京ディズニーランドトモ、タメデアル。
来年三十路ノ大台ニ突入デアル。
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