社労士の勉強を一日最低一時間するようになって、
おなかまわりがスッキリし始めた。
顔も、スッキリ。むくみがとれた。
そんな気がする。
普段の食生活は、相変わらず、
朝食
なし
昼食 (自炊の場合)
玄米半合、キャベツ1/2個、
肉か魚適宜、
おやつ
しばしば芋ケンピ一袋、
あとは職場でお菓子をもらったら、なんでも食べる。
週末
ファーストフードやラーメン、ファミレス等、色々
勉強してるときの自分の呼吸に意識してみたら、すんごい深い腹式呼吸だった。
それって健康によさそー。
新しいことを考えるとか覚えることって、思った以上にエネルギー消費するものなのかもな。
今夜は社長とご飯。
何食べたい?と聞かれ、
(お寿司!)と思ったけど
「和食系かな」
と言った。
「お寿司!」と言えるまで、あとどの位かかるのか。
社長は、私といると楽しい癒されると言ってくれて、どうやらかわいがってくれているみたいなのでありがたいやら恐れ多いやら。
私は社長の話を聞かせてもらうこと、社長への気配り目配り心配りを実践することは、レアな人生勉強だと思っている。
様々なことへ造詣が深い人だし、
整体的な身体論をお持ちで実践されているし、
話を聞いていて大変興味深い。
社長とのご飯は、
男の人の心やプライドを知る良い機会である。
自分の今後の恋愛に必ず生かしてゆけるだけの学びを得ている。
そういうメリットがあるから、ご飯をご一緒させて頂いている。
社長は私の存在に癒され(⬅自分で言うとおこがましい。)
また私は社長から人生勉強をさせて頂く。
お互いに、そういうメリットがあるから、
なぞのご飯会は成立していると思う。
あと、ほかの社員さんが社長のこういうところがすごいと言ってましたよ、とか、あの時の社長のこういう言葉に、あの社員さんは励まされたと言ってましたよ、
と、良いことは社長に伝える。
へー あーそー
とか言ってるだけだけど、結構嬉しそうな社長。
私はスピークよりリッスンの方が好きなので、
面白い話なんて何もできないけど、
相手の話をじっくり聞くことはできる。好きだ。
「それはどうしてですか?」と質問したり、
心底楽しそうに笑うさまがイイと、
男の人にはよく受け入れて頂いている。ありがたい。
10代のころは、面白い話ができない自分や、トーク術がない自分が嫌だったけど、
話すより聞くほうが好きな自分のままでも、受け入れてくれる人は受け入れてくれるんだ、と、
年を重ねるごとに気付いていって楽になれた。
そしたら今度は、話の聞き方を磨くようになっていった。
目を見ること、あいづちのタイミング、質問するタイミング。
計算といえば計算ずくですがね、
相手が、話して楽になってくれたら、それが一番嬉しいから。
社長は明るくて前向きな人だが、
「経営者の孤独」というものがあるように感じる。
言葉には出さなくとも、隣にいる人が抱えている孤独が、ひしひし伝わってくることはある。
それがよく社長から伝わってくる。
なんだろ、背中からかな。
よくわからないけど。そう感じる。
経営者、自営業者は、すごいと思うよ!
強い心の人たちだと思う。
会社やお店をひらく、あるいは継ぐということは、(人によるとは思うけど)
自分の人生、全身全霊をかけて、世の中に、
「私はこれこれこういうことができます。それによって、世の中をこれこれこういう風によりよくしてゆきたいと思っています」
と高らかに宣言し実行してゆくことだと思ふ。
シンプルにいえば、
人を幸せにしたいという志の具現だ。
大変なこともあると思うけど、
人は必ずみてる。
神さま仏さまもみてくれてる。
経営に限らず、いつだってなんだって、
精一杯努力する自分、
世の中の役に立ちたいと願う自分、
なおかつ、
人と調和できる自分、
であれば、
きっと神さま仏さまは微笑んでエールを送って下さると信じている。
だって、もし神さまが、世の中よりよくしていきたいと願っているんだったら、
精一杯努力する自分、
世の中の役に立ちたいと願う自分、
なおかつ、
人と調和できる自分、
は、神さまのミココロに沿ってんじゃん。
加護がないわけがない!
あ私は仏教徒なので、
「真理に沿って生きれば真理によって守られる」的なことだと思ってる。
仏を信じるということは、
自分の身に起こるすべてのこと、すべての縁を、ありがたいと思うこと、生かしてゆくことだ。
心柔らかに生きていきたいなー
そういえば、この前小三治師匠の独演落語会を聞きに行ったとき、
まくらでこんなフレーズを聞いた。
堪忍の袋を常に首にかけ 破れたら縫え破れたら縫え
気に食わぬ風もあろうに柳かな
柳、やっぱイイなー。
柳、やっぱ人生のキーワード。
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