先週まで暖かかった京都ですが、今日はめちゃ寒い。
今週はずっとこんな感じだそうですが、これって普通だよね。
ずっと暖かかったから冬は寒いということを忘れてたけど12月ももう中盤でしたね。
そんな今日は用事があってデパートのはしご。
平日だというのにめちゃ人が多かった。
そんな私の今日のブログはちょっと最近のお話。
先週は福岡の友達が京都に遊びに来ていて二人で色んな所を回ったので、今日はその一部です。
この日は友達と山科の駅で待ち合わせ。
てくてく歩くと見えてくるのが山科の琵琶湖疎水。
琵琶湖の水位が下がってると話題になっていますが、琵琶湖から流れてくる疎水も水がない![]()
この日は12月14日。
友達のガイドブックによると、この日は山科で義士まつりが行われるらしいので、せっかくなら行ってみようと山科までやってきました。
まずは途中にある瑞光院へ。
赤穂浅野家の祈願寺で、当初はここではなく上京区の方にあったお寺だそうですが、1962年にここに移転されました。
ここは浅野内匠頭が松の廊下事件で切腹した後、家臣がここに浅野内匠頭の衣冠を境内に埋め、供養塔を作り主人の冥福を祈ったとされています。
その後、大石内蔵助良雄など義士たちの切腹の際は、瑞光院の僧が江戸へ行き、義士の遺書と遺髪を集めてここへ戻り遺髪塔を建てたとされています。
ちなみに現在の瑞光院には遺髪塔はありませんが、新たに建立された四十六士の墓があります。
そこからてくてく坂を上ってやってきたのは毘沙門堂。
実はここ、11月の紅葉の時期にも来ています。
でももう紅葉はオシマイ。
この日はここで義士まつりの行列の出発式が行われます。
義士まつりでは「忠臣蔵」の大石内蔵助等が吉良邸討ち入りを決意するまで山科に隠棲したことにちなみ、山科区民の扮装による義士隊行列がゆかりの地を練り歩きます。
行列途中の舞台では、東映太秦映画村の協力で「刃傷松の廊下」や「切腹」「連判状改め」「討ち入り」などの芝居が展開され、大石神社を終着地として約6キロを歩くそうです。
昭和49年から始まったこのお祭り、今年は47回目だそうで偶然にも四十七士と同じ数。
義士さんたちが歩いてる間に私たちは地下鉄に乗って二つ先の駅まで。
そこから20分ほど歩きます。
ということで岩屋寺に来ました。
岩屋寺は曹洞宗永平寺派の寺院。
大石内蔵助は赤穂城退去後、赤穂藩士で山科出身の進藤源四郎の縁故によりここに家屋を建て永住を装ったとされます。
祇園や伏見で遊行にふけって世間の目を欺きながら仇討ちのために江戸へ出発するまでの1年余りをこのあたりで過ごしたそう。
境内には、内蔵助ら四十七士の木像や遺品、内蔵助の遺髪塚等があって当時の屋敷の古材で作られた茶室があるそうですが、この日はお祭りの関係者が大勢行き来していてみなさん忙しそう。
なので私たちもお写真だけ撮って早々に引き上げます。
地域の皆さんが甘酒をふるまってくださいました。
そのすぐ横にあるのが義士の行列の最終目的地大石神社。
1935年に浪曲師・吉田奈良丸(大和之丞)の提唱で大石内蔵助良雄をまつるため創建された神社です。
ここには討ち入りの武器を調達したという商人天野屋利兵衛を祀る義人社もあります。
この方が大石内蔵助さん。
ここの狛犬さん、阿形の狛犬はふつうなんだけど
「吽」の狛犬さんには角があります。
実は狛犬は吽形の頭には角があるのが本来の姿なんだそう。
時代とともに簡略化されて角がないものが増えていったそうです。
昔はこの時期よく「忠臣蔵」のテレビドラマが放送されていたけど最近はとんと見かけません。
今の若い人はこのお話知ってるのかなぁ?
まあ今じゃありえないお話ですが。
ここはお祭りの最終地点なのでいろいろ準備中でした。
今は山茶花が満開。
岩屋寺に大石神社、桜がめちゃキレイみたいなので今度は桜の季節に行ってみたいな。

















































































