寒い一週間だったなぁと思っていたら来週もまた寒い一週間になりそう。

伯母に会いに施設に行きたいんだけどバス停からずいぶん歩くので来週もまた無理かなぁ。

世界的にもニューヨークやソウルも大寒波だそうで、毎年一月ってこんなだったっけ?

夏あれだけ暑かったのがウソみたいだな。

 

そんな私の今日のブログは11月終わり頃のお話です。

 

この日は山科の友達に誘われて山科ふるさとの会の遺跡巡りに参加します。

集合場所は西野山公民館。

ここでいろんな説明を受けて遺跡巡りに出発です。

 

 

 

みんなで醍醐道をてくてく。

 

 

 

遠くに見えるのは花山天文台。

 

 

 

クィーンのブライアンメイも来たことのある1929年に設立された天文台で、京都大学の付属の施設です。

 

 

 

まずは最初の見学場所進藤砥ノ粉店に到着。

 

 

 

砥の粉(とのこ)は砥石を砕いた粉や粘土を焼いて粉にしたもので、板や柱などの着色、目止めや器などの塗り下地として利用されるものなんだそうで、時には役者が顔のしわ隠しのためなどで下塗りとして使うこともあるそうです。

 

 

 

西野山地区は砥の粉の日本の需要の100%近くを占めるそうで、昭和30~40年にはこの辺りには30軒以上の製造所があったそうですが、現在はこの工場でしか生産されていないんだそう。

 

 

 

原料の石は西野山、稲荷山の山側で採掘され、トロミル式鉄円筒粉砕機に原料の石と粉砕用の石と水を入れ回転させ、10〜12時間かけて細かい粒子にし、さらにタンクに移し替えて水を加えながらろ過と沈殿をくり返し天日で1〜2ケ月干してようやく出来上がるものだそう。(会社のHPから)

 

 

 

社寺仏閣の多い京都では今でも匠の職人さんには重宝されているようで、文化財修復に無くては成らないものなんだそうです。

砥の粉…初めて知ったのでいい勉強になりました。

 

 

 

醍醐道に戻っててくてく歩くと見えてきたこの鳥居。

 

 

 

 

 

実はこれ伏見稲荷の鳥居です。

この道は伏見稲荷大社に続いていて、ここからだと歩いて40分くらいかかるそうです。

 

 

この道の前には道標が3つ並んでいてそれぞれの行き先を示しています。

 

 

 

 

この道は滑石街道とも呼ばれていて西野山から峠を超えて今熊野東大路に至る道で、この近くに隠れ住んでいた大石内蔵助が伏見の廓や祇園に通った道だと言われています。

 

 

 

このあたりの紅葉はもう終わりかけ。

 

 

 

高台から山科の町をパチリ。

 

 

 

あの山の向こうは大津です。

 

 

 

醍醐道(滑石街道)から少し下がったところにあるのは若宮八幡宮。

御祭神は應仁天皇で由緒は不詳なんだそう。

 

 

 

社殿は当時の山科神社の五社の神輿のうちの一つで、ご鎮座は200年前の江戸時代と伝えられているそうです。

 

 

 

紅葉は終わってたけどイチョウはきれいに色づいています。

 

 

 

最後の見学場所は西野山遺跡。

1919年に地元の人が偶然発見した古墓で、そこからは金装太刀や鏡等副葬品が発見されていますが、それ以降ほったらかされていて現在ではその場所がはっきりしていなくて、ここはこの辺りではと言われている場所です。

ちなみに発見された金装太刀や鏡等副葬品は1953年に国宝に指定され、現在は京都大学総合博物館が所蔵しています。

 

 

 

発見されたものや棺から埋葬されていた人は大柄で高位の人物ではないかと言われていて、現在では埋葬されていた人が坂上田村麻呂ではないかという説が有力なんだそう。

山科には実際に坂上田村麻呂のお墓があるので、もしかしたらそこに移されたのかも?

 

 

 

最後は清水団地公園で解散。

清水焼は、もともと清水寺の近くの五条坂周辺で製造されていましたが、周辺の都市化により1962年に82.5haの清水焼団地がこの辺りに造成され多くの製造業者がここに移転してきたそうです。

 

 

 

日曜日だったので清水焼会館はお休み。

ココにも入ってみたかったな。

それにしても山科地区、まだまだ見所がいっぱいありそう。

ホントにいい勉強になった一日でした。