友達の家のエアコンが壊れたそうで、まだ保証期間中だったので買ったお店に行ってみたらお店がなくなっていたそう。

結構大きな家電量販店だったのに他のお店と統合されたらしい。

しかたなくメーカーに電話するけど今時はどこも音声サービス。

ガイダンスに従いながら番号を押すけど途中で元に戻ってなかなか人間と会話できないらしく機械が苦手な友達はもうお手上げ状態。

私もこの間カードの解約でカード会社に電話したけど、人間と話せるまでがめちゃ長かった。

私たちの歳でも音声電話には苦労するのに、もっと高齢の方はどうしてるんだろう?

これから高齢化社会になるというのに、これどうにかならないのかなぁ。

しかも音声通話には結構高い通話料金が課せられるし…いや別に有料でもいいんですが無駄にダイヤルを押すのがめんどくさい。

最初に音声ガイダンスか人との通話か選べると便利なんだけどなぁ。

 

そんな私の今日のブログは4月の松江の続きです。

 

塩見縄手はかつて上級・中級武士の屋敷が軒を連ねていた通りで、「塩見」はこの場所に住んでいた松江藩の塩見小兵衛の屋敷があったことから、「縄手」は縄のように細く延びた道のことを言うそうです。

 

 

 

この通りにある小泉八雲旧居をはじめ、小泉八雲記念館前から明々庵入口に至る延長約500mは1973年に松江市の「伝統美観地区」に指定されています。

 

 

 

まずやってきたのは「小泉八雲記念館」。

1933年に開館した記念館で、小泉家から寄贈された原稿や、小泉記念会会ら寄贈された書籍や遺品など1500点ほどが展示されています。

 

 

 

現在の施設は1984年に和風建築の木造平屋建てに改築されたもので2016年にリニューアル。

現在の館長は小泉八雲の曾孫小泉凡さんです。

 

 

 

小泉八雲は本名パトリックラフカディオ・ハーン。

1850年、ギリシャ西部のレフカダ島で生まれました。

19歳の時に単身、移民としてアメリカに渡り文筆家に。

1890年に日本にやっていきました。

 

 

 

同じ年に島根県尋常中学校に赴任し英語教師になり、1896年に松江の士族の娘、小泉セツと結婚し日本に帰化しました。

小泉八雲は写真が少なく、たいていが左を向いているか目を閉じていますが、16歳の時に学校で遊戯中に事故に会い、左目を負傷し失明したからだといわれているそうです。

 

 

 

記念館の前庭には、小泉八雲の遺髪塔があります。 

八雲の三男で画家の小泉清のアトリエから見つかったものでこちらの塔に納められています。

ちなみに八雲は1904年9月26日、心臓発作で54歳の生涯を閉じています。

 

 

 

記念館のすぐ横にあるのは小泉八雲旧居(ヘルン旧居)。

1891年の6月から11月まで新婚時代の小泉八雲とその妻セツが暮らしたお家です。

 

 

 

 

この家は1868年に作られたもので旧士族根岸家の武家屋敷です。

 

 

 

 

 

八雲はこの家の庭がお気に入りで「知られぬ日本の面影」第十六章「日本の庭」の中で、この庭のことを詳しく描写してるそうです。

 

 

 

現在もこの庭は保存されていて、1940年には国の史跡に指定されています。

 

 

 

 

八雲の机。

ここで「知られぬ日本の面影」などを執筆したんだそう。

 

 

 

とても落ち着いたいいお家で、今でも普通に生活できそうなお屋敷です。

つづきます。