京都のコロナ新規感染者もあっというまに1000人を超えてしまって、この先どうなっていくのかちょっと心配。
オミクロンは症状が軽いとか普通の風邪みたいとか言われてるけど、未知のウイルスであることには変わりないので楽観視はやはり危険だと思う。
ということでしばらくはまたステイホームかなぁ。
とはいえこの寒さで私は先週からずっとステイホームですが![]()
そんな私の今日のブログは去年の11月の平安体験ツアーのつづきです。
次にやって来たのは竹神社。
1911年に旧斎宮村にあった25社の神を合祀して誕生した神社です。
本来の創建年代は不明ですが、元は違う場所にあって明治時代に野々宮が祀られていた現在の場所に移されたそうで、周辺からは平安時代の大規模な塀列や掘立柱建物の跡が発掘されたため、斎王の御殿があった場所ではないかといわれているそうです。
御祭神は長白羽神・天照大御神・建速須佐之男命・八柱神・応神天皇・地主神 火産霊神・宇迦御魂神・大己貴命・天棚機姫命・八千々姫命・瀬織津姫神。
25もの社を合祀しただけあって御祭神も多い。
ここは花手水がめちゃ豪華。
クリスマスも近いしねぇ。
って、ここ神社なんですけど![]()
他にもキレイはお花がいっぱい。
私達は遺跡跡側から入ってきましたが、本来の入口はこちら。
神社の前の道は伊勢街道。
ということで、こんな看板と
野々宮と書かれた石碑。
この辺りには斎宮城があったと言われています。
斎宮城は、室町期に野呂三郎が城砦を築いて立て籠もりましたが、北畠材親によって討伐されたと言われています。
なので、このあたりの石垣が斎宮城のものだともいわれています。
この「八王子」と刻まれた石灯籠はもともと、池村氏神の一つ饗庭の森八王子の石灯籠なんだそう。
こちらは伊勢神宮遥拝所。
遠くから伊勢神宮を配するための場所です。
そこからてくてく畑の中を歩いて…
これ、大豆を栽培しているそうです。
その昔、竹神社があったとされる場所を通って
やってきたのは発掘調査の現場。
昭和45年に古里地区の宅地開発にともなう事前発掘調査で斎宮跡が発掘されてから、現在も発掘調査は続いています。
現在の史跡公園「斎王の森」周辺で発掘調査が続けられた時に、大きな国の役所で使われる蹄脚硯(ていきゃくけん)の破片が発見され、このあたりの大規模な遺跡が斎宮であると確信する決め手となったんだそう。
でも今発掘されているものは、もっと昔のものなんだとか。
発掘作業って根気がいるしホントに大変な作業です。
一見面白そうだけど、かなりしんどいお仕事だと思います。
またまた斎宮跡歴史ロマン広場に戻ってきて、しばしの自由時間。
このあたりには史跡全体を10分の1のスケールで再現した模型が設置されていて、史跡の全体像を見ることができます。
その地近くにはコスモス畑。
時間がなくてあまりゆっくりできなかったけど、ここもっとじっくり見たかったなぁ。
帰りの駅では町の婦人会のみなさんがお見送りしてくださいます。
夕飯時なのにみなさんありがとうございます。
帰りももちろん「楽」号で。
このツアー、モニターツアーということで、私達の旅行費は5000円ぽっきり。
これって「楽」号の運賃くらいじゃないかなぁ。
たぶんですが、あとの食事代や観光代は町おこしの一環として明和町が負担してくださってるんだと思います。
今回回ったところは、みんな斎宮の駅から歩いて行ける範囲内。
個人的にも行きやすい場所なので、今度は個人で行ってみるのも面白いかも?
ということで買った来たもの。
お写真はありませんが、お土産に一筆箋もいただきました。
柿もサツマイモもめちゃ安くて美味しかった♪






































