あれよあれよという間に京都も新規感染者が500人を超えてしまった。

これは去年の9月以来だそうですが、去年の9月がどんなだったか全く思い出せない。

確か去年の今頃も緊急事態宣言が出されてバタバタしたような気もするけど、私の生活はあまり変わらなかったような。

どっちにしてもこの寒さ、出かける気にはなりません。

明日は雪だそうで、朝の出勤時みなさんお気を付けください。

 

そんな私の今日のブログは11月の日帰りツアーの続きです。

 

バスでほんの少し走って、やって来たのはJA多気郡。

 

 

 

ちょっと広めのお部屋に通されて…机の上には御所車。

この日のランチはここでいただきます。

 

 

 

これは斎王の宝箱というお弁当。

一人一テーブルで同じ方向を向いて食事するので、お一人様でも友達同士でも変わらないな。

 

 

 

斎王弁当は斎宮歴史博物館の指導のもと、当時の調味料、調理方法にこだわって「斎王の食事」を復元したもの。

ちなみに斎王とは、その昔、天皇の代わりに伊勢神宮の神様に仕えるために選ばれた未婚の皇女のことです。

 

 

 

伊勢湾で捕れた季節の魚や地元の新鮮な野菜を使用するなど、食材にもこだわり厳選されたもので、ご飯は最も古代に近いと言われている黒米です。

 

 

 

一の重には鮫たれ、鰆柚庵焼き、鳥照り焼き、だし巻き玉子、海老旨煮、胡麻豆腐、銀杏、鴨肉。

ちなみにサメは伊勢地方でしか食べられていないサメの干し身を焼いたもの。

 

 

 

二の重はぜんまい煮、蓮根、椎茸旨煮、里芋、ふき、生麩、人参旨煮、筍土佐煮、生酢、青梅甘露煮、京あわせ、法蓮草ごま和え。

 

 

 

三の重には、メロン・チェリー、小倉寄せ、黒米おこわ、つぼ漬け。

どれも美味しくて完食です。

 

 

 

お腹も一杯になったところで、次に向かったのは斎宮歴史博物館。

1989年に開館した県立の博物館で、テーマ博物館であると同時に埋蔵文化財センターとしての機能も有しています。

 

 

 

ここは国指定史跡斎宮跡の一角に建つ博物館で、斎宮の歴史を紹介するため、斎王の役割や当時の斎宮の様子などを資料や模型、映像を使って分かりやすく紹介しています。

 

 

 

先にも書きましたが、斎王とは日本の古代から南北朝時代にかけて、天皇の代わりに伊勢神宮に奉仕した未婚の皇女のこと。

平安時代以降は賀茂神社の斎王と区別するため、伊勢斎王とも呼ばれていました。

 

 

 

斎王は約500人もの付き人を連れて、京の都から伊勢にあるお役所へ旅立ち、天皇が代わるまでの間ずっとそこで生活をしていました。

 

 

 

制度上最初の斎王は、天武天皇(670年頃)の娘・大来皇女(おおくのこうじょ)で、制度が廃絶する後醍醐天皇の時代(1330年頃)まで約660年間続き、その間記録には60人余りの斎王の名が残されているそうです。

 

 

 

斎王になると、宮中に定められた初斎院に入り、翌年の秋に都の郊外の野宮に移り潔斎の日々を送り身を清めました。

その翌年9月に、伊勢神宮の神嘗祭に合わせて都を旅立ちます。

 

 

 

出発日の朝、斎王は野宮を出て葛野川(現在の桂川)で禊を行い、葱華輦(そうかれん)という輿に乗り、伊勢へと旅立ちます。

途中、近江国の勢多・甲賀・垂水、伊勢国の鈴鹿・一志に設けられた仮設の宮、に宿泊し、5泊6日の行程で伊勢に赴いたそうです。

 

 

 

斎宮(さいくう)とは、「いつきのみや」とも呼ばれていて、斎王が生活していたお役所のあったところをさし、その斎宮があった場所がこの明和町です。

 

 

 

伊勢斎宮の遺跡は、南北朝期以降荒廃し、その遺跡も不明でしたが、1970年頃からの宅地造成に伴い、三重県多気郡明和町古里地区に斎宮遺跡の存在することが明らかとなったそう。

 

 

 

 

県は1979年に史跡指定を受け本格的な調査発掘と保存に乗り出し、現在も発掘は続けられています。

 

 

 

正直私は、斎王のことも斎宮の事も全く知らなかったので、ここでとてもいい勉強をさせていただきました。

 

 

 

ということで、づづきます。