前回の続きです。

1年間のアメリカ留学から帰ってきて、ちょうど学年は高3に進みました。進学校でしたので、もう周りは受験1色でした。

私はアメリカ留学中から色々調べて考えた結果、アメリカの大学進学を希望するということで、TOEFLやSATなどの対策をすることにし、イフ外語学院に行きました。ここの学校は相当に質の高い指導をしていました。基本的な英語力・文法力があることを前提に、膨大な過去問データに基づいた問題対策と語彙構築を主眼に据えた指導でした。何しろ基本的に対象はMBAを狙う社会人なので、クラスでも高校生は私だけ。しかも学校帰りの制服なので、とても悪目立ちしましたガーン

3か月通って初めて受けたTOEFLのスコアは610点だったかな??テストの性質が違うので何とも言えませんが、TOEICに無理やり換算すると900点相当程度だそうです。

ただ、高校の成績がアメリカ留学中の1年(これはHonor rollという成績優秀者リストに載りましたニコニコ)を除いて良くなかったので、州立のいいところにならいけるけれど、どうやらアイビーリーグは厳しいということがわかりました。それなら、日本でトップ校に行こう!とすっぱり切り替え、あっさりアメリカ進学は諦めることに。その時点で高3の6月、高2の日本のカリキュラムは1年間丸ごと抜けていますので、我ながら無茶をしたなと思います。1年浪人し、なんとか第一志望校に進学しました。

大学進学してすぐにアルバイトをさがし、学生課で紹介されたのが地元の塾の講師。
1クラス10~25人程度の大学受験塾で、高1~高2に英語を教えることになりました。
受験の際にいわゆる受験英語の勉強をしなかったので、あわてて分厚い英文法の参考書を買ってきて、毎回付け焼刃で該当範囲の英文法を勉強です。これを3年近くする内に、英文法はばっちり!になりました。自分の勉強ではやらないことでも、お給料をもらって人に教えるんだと思えばどうでもやらざるを得ないものです。人に教えることが何よりの勉強になる、という良い例でもあったかと思います。

また、大学では3年時に学部進学してはじめて専門科目を受けた際に、国際政治学を教えるカリスマ教授と出会い、余りの面白さにすっかり国際政治学にはまってしまいました。私のいた学部ではゼミは希望者のみ、1学期ごとの制度でしたが、国際政治学やヨーロッパ政治史、アメリカ政治外交史などのゼミに参加しました。大学院との合同ゼミが多く、科目の性質上主に英語の論文や専門書を読みこまされるので、リーディングにおいては「高度な内容の、しかも知的レベルの非常に高い英語を大量に読む」といういい勉強になったと思います。
英語についてのコメントをいただいたので、「私と英語」ということでちょっと書いてみます。

私は中学高校と私立のミッションスクールに行ったのですが、そもそも受験をしたのは近所の中学が荒れていて怖いという理由で自分から親にお願いしました。放課後近所の子たちと遊んでいて地元の中学生に石をぶつけられたり、中学のプールの横の道を歩いていたら、高い塀の上から水をザバっとかけられたりと、子供心にこんな学校は行きたくないと思ったんですね。それで志望校を選ぶ際には、当時は漠然と将来留学してみたいと思っていたので、さまざまな交換留学制度や海外の姉妹校があったり、基本全員参加の夏休みの短期留学制度があるその中学を選びました。ネイティブの英語講師が複数いたり、イエズス会編集(だったと思う)のプログレスのテキストを使っていたり、「英語の○○」と言われるくらい英語教育に力を入れていたことも大きかったです。

念願かなって高校2年生の1年間、国際ロータリー青少年交換学生としてアメリカに行ったのですが、それがすごい田舎の村でした。人口2000人、テレビで見るようなおしゃれで都会的なアメリカとは全く違った、中西部ののどかなところでした。養子となっているヒスパニックの子供が数人と、それぞれ医者・弁護士をしている韓国人家庭が2つあるだけで他は全員白人で、そうするとかえって人種対立も差別もなく、ホストファミリーがいい方たちだったこともあってのびのびと過ごさせていただきました。

元々が超のつくおしゃべりなので、英語だからと言って黙ってなんていられません。話す方は割とすぐにぺらぺらになりました。(それでも全然スラングは覚えられず、一度だけ"Shit!"と言ったときは、「Ayaがそんなことを言うなんて!」と爆笑されました…。"Fxxk U"のかわりに”Bless you"というのは、周囲にウケて流行になりました。)
当時米の輸入自由化だとか、湾岸戦争で日本が自衛隊を派遣しないというのでジャパン・バッシングになっていたのですが、アメリカの田舎の高校生だと日本がどこにあるかも知らず、ちょっとニュースで聞きかじった一方的な内容を真に受けてバッシングするのが気に入らず、先生にお願いして政治経済の授業時間をもらい、日本の農業の状況や食生活について、あるいは戦後GHQ主導で制定された平和憲法についてなど発表したり、アウェイでも負けん気が強かったなあとしみじみ思います。

活字中毒で本を読まずに1日もいられないため、図書館で借りた本(当然英語)を毎日1冊は読んでいました。もちろん最初は難しい本など読めませんでしたので、『赤毛のアン』や『若草物語』など内容をよく知っていて易しいものを読み、次は大人向けでもフィッツジェラルドやジェフリー・アーチャーなど日本語ですでに読んでいたものへステップアップし、そのうちに大方のアメリカ人よりも読む速度は速くなりました。

書く方はまあぼちぼち(これはのちほどネットを通じて上達します)、問題は聞き取りです。お恥ずかしい事に日本語でもそうなのですが、人の話を聞かずにべらべらと喋りまくる傾向があるため、ヒアリング能力は読み・書き・話すにくらべると圧倒的に低いのです…。そのためその後社会に出てからも、がーっと言いたいことを言いまくった後、相手が何か言うと「もう少しゆっくり話していただけますか?」なんていう最低な人間になってしまいましたあせる今は標準的なアメリカ英語やイギリス英語、北欧・ベネルクス・ドイツ・オーストラリアやNZあたりの英語はなんとか大丈夫ですが、アジア系は厳しいです。

前述の通り私は話もマシンガントークなのですが、ブログも長くなっちゃいますねガーン
続きはまた明日にでも書こうと思います。
さあ、才能(じぶん)に目覚めよう―あなたの5つの強みを見出し、活かす

非常にラフに言ってしまえば、弱点の克服に注力するのではなく長所・才能にフォーカスすべし、という本。

自分を振り返ってみても、確かに弱点をどうにかしようというところで四苦八苦することが多く、逆に長所は自分にとってあまりにも当然になってしまっているため、あえてそれを磨こう・より生かそうという努力は怠っているなあと思い当たります。

私の場合、学生時代から得意なこと・好きなことと苦手なこと・嫌いなことに激しい差があり、例えば得意科目では全国模試で5位以内を取る一方で、苦手科目は0点の連続…という感じでした。学校の授業も「得意科目は聞くだけ授業時間の無駄。自分でどんどん本を読んでいった方が早い。苦手科目も時間の無駄。いくら聞いても全くわからないんだから」というスタンス。今思えば、若い時はもっと苦手なことを克服するという努力もすべきだったと反省しきりなのですが。(この本でも、おおよそ16歳くらいまでなら弱点を克服したり他の強みを開発するということもできると言っています)

さすがに社会に出てからはそうもいかず、特にヒューマンスキルの弱さはどうにかしないとやっていけないため、なんとか苦手なことを人並みにしようということばかり考えていました。著者は、最低限のダメージコントロールはともかく、あとは1.最低限よくする、2.サポートシステムを作る、3..強みでカバーする、4.得意な人に任せる(パートナーを見つける)、5.とにかくやめてみる という対処法を提言しています。その時にどの対処法がとれるかの判断も難しいですが、試してみる価値はあるかも。

この本には、ウェブ上で受けられる「ストレングスファインダー」という強み分析のテストのIDがついてきます。

やってみたところ、私の強みは収集心・内省・コミュニケーション・達成欲・目標志向だそう。どれもなるほどと思い当たることばかりで、特に「収集心」については自分では知識欲や学習意欲ととらえていましたが、「とにかく情報を集めることで満足する」というのはまさにその通り!情報収集能力はとても自信がありますし、今まで一番楽しかった仕事は、コンサルのリサーチアシスタントとして法令や政策、支援制度などかなり難解で広範囲にわたる情報を調べてまとめていた時でした。お金をもらわなくてもやりたいかも、なんて思っていたほど。

また、一人でじっくり物を考えるのはもはや「好き嫌い」ではなくて呼吸をするのと同じようなものですし、コミュニケーションに関しても、スピーチやプレゼン、面接は大得意。数百人くらいの前でなら、骨子さえ準備しておけばほぼアドリブで反応を見つつ楽しんで話すことができます。

でも「達成欲」や「目標志向」「コミュニケーション」はともかく、一番強い2つは一般的なビジネスでは生かしにくいし求められないところですよね。これをどう今後日々の実務の中で生かしていくかが課題です。