【モナコ公室】フランスでヴァカンス中 | Time Tested Beauty Tips * Audrey Hepburn Forever *

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オードリーをはじめとするハリウッドセレブからダイアナ妃やグレース・ケリーなどの各国 王室・王族も。

2018年8月、フランスでバカンス中のシャルレーヌ妃と株リエラ公女

 

こちらは2018年6月の写真

Princess Gabriella and Prince Jacques of Monaco. 2018

 

アルベール・アレクサンドル・ルイ・ピエールAlbert Alexandre Louis Pierre

生没年:1958-

2005- モナコ公 アルベール2世

 

父:モナコ公レーニエ3世

母:グレース妃(グレース・ケリー)

妻:シャーリーン・ウィットストック(シャルレーヌ妃)1978-
 2014年- ガブリエラ・テレーズ・マリー
 2014年- ジャック・オノレ・レーニエ

 

女:タマラ・ロトロ(元ウェイトレス/アメリカ人)
1992- (庶子)ジャズミン・グレース

女:ニコル・コスト(元エールフランス客室乗務員)

2003- (庶子)アレクサンドル・コスト

 

 

祖先の写真と言っても、ひいおじいさま伯爵ピエール・ド・ポリニャックとひいおばあ様シャルロット・ド・モナコ(レーニエ大公の両親)

Princess Charlotte and Prince Pierre on March 19, 1920.

 

レーニエ2世とアントワネット公女、母シャルロット公女、祖父ルイ2世 (モナコ大公)

 

 

▲ルイ2世 (モナコ大公)

モナコ公シャルル3世の長男アルベールと母イギリス出身の貴族メアリー・ヴィクトリアの間にドイツのバーデン=バーデンで生まれた。

母はスコットランド貴族の第11代ハミルトン公爵と、その妻でバーデン大公カールの娘であるマリー・アマーリエの間の第3子、母方の祖母はフランス皇帝ナポレオン1世の養女ステファニー・ド・ボアルネで当時のフランス皇帝ナポレオン3世とも親戚関係に。

結婚当初から、19歳と若く気の強いメアリー・ヴィクトリアは夫アルベールを嫌い、ルイが生まれても夫婦の不仲は変わらなかった。生まれて間もないルイとともに、メアリー・ヴィクトリアはモナコを永久に去り、1880年に2人は正式に離婚。

ハンガリー貴族のフェシュテティチ・デ・トルナ侯タシローと結婚した母と母の再婚相手トルナ公タッシロと、異父妹アレクサンドラとともに暮らし、実の父に会うことはなかった。11歳になって、彼は未来の後継者としてモナコに呼び戻された。

軍でのふさわしい地位を求めて、紛争やまないフランス領北アフリカへ、フランス外人部隊として赴任。アルジェリア滞在中、ルイはキャバレーの歌手で3歳年上の女性マリー・ジュリエット・ルーヴェと出会い、彼女が別れた夫との間に一男一女がいることなど気にせず熱烈な恋愛関係に。大公は息子の醜聞を知ると正式な結婚を許可しなかったにもかかわらず、ルイは父の意向を無視して1897年にマリーと結婚(法的な証拠が残っていない)。

1898年に、コンスタンティーヌで2人の間の娘シャルロット・ルイーズ・ジュリエットが生まれた(のちに自伝を記したレーニエ3世は、祖母にあたるマリーの記述をしていない)。

1944年にシャルロット公女は公位継承辞退を表明して長男レーニエに権利を譲っており、75歳のルイは公国の統治を放棄。1946年からパリで暮らすようになり、同年に30歳年下の元女優ジスレーヌ・ドマンジェと、法的に初めての結婚をした。

1949年にルイは亡くなり、モンテカルロのサン・ニコラ大聖堂に葬られ、レーニエがレーニエ3世として大公となった。

 

 

 

▲シャルロット・ルイーズ・ジュリエット

シャルロット公女«Princess Charlotte, Charlotte de monaco»

母はキャバレーシンガーだったマリー・ジュリエット・ルーヴェ«Marie Juliette Louvet»。

(別れた夫写真家Achille Delmaetとの間に一男一女Georges DelmaetとMarguerite Delmaetがいた)シャルロット公女が生まれる前、彼女の祖母Joséphine Elmire Piedeferはルイ2世がパリにいたときの洗濯女でした。

響きが悪いと感じられる方もいるかもしれませんが、そのままの意味であったり、上流階級の屋敷に所属する使用人のこともこう表現していたそう。19世紀にパリで活躍した芸術家たちにとって、洗濯女は極めて現代的な 主題で、ロートレックも主題に。

父ルイ以後の後継者は男子しか継承が許されていなかったため、 誰が大公になるのかが争点に。最も年長の男子は、アルベール1世の伯母の息子のウラッハ公でした。 この問題は、1911年に継承法が改正されて、シャルロットが認知されて決着。

 

 

さらに1918年には、シャルロットとルイが養子縁組をおこない、 爵位が与えられてヴァランティノワ女公に。ヴィルヘルムはこの年にリトアニア国王ミンダウカス2世として即位したので、 継承問題はかろうじて解決。 (ドイツ系の大公が誕生するのをフランスが嫌ったという事情もあった)ポリニャック伯ピエールとの間にアントワネット、レーニエを出産。 シャルロット公女は父公が存命中の1944年に継承権を息子のレーニエに譲って放棄。

 

Princess Antoinette with her brother Prince Rainier 12 Jan 1926

 

Vintage photo of Rainier III with a dog.

 

 

レーニエ大公とアルベール2世

 

Prince Rainier and Princess Grace of Monaco leave Basilica of St. Peter in Romes Vatican City on June 18, 1959 after their audience with Pope John XXIII