【オマーン王国】大山清子 20世紀初頭オマーン国王と結婚 娘ブサイナ王女 | Time Tested Beauty Tips * Audrey Hepburn Forever *

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オードリーをはじめとするハリウッドセレブからダイアナ妃やグレース・ケリーなどの各国 王室・王族も。

ブサイナ・ビント・タイムール王女Buthaina bint Taimur Al-Said(80)

オマーンの王族。オマーン現国王カーブース・ビン・サイード(77)の叔母にあたります。日本名は「節子・アール・サイード」

父はオマーン元国王タイムール・ビン・ファイサル、母は日本人大山清子。

 

甥 カーブース・ビン・サイード

資産7億ドル(840億円) 王族の中で世界11位

1970年に宮廷内クーデターを起こして父王を追放して以来、オマーン国王の座に就くスルターン・カーブース・ビン=サイード国王。石油資源を背景とし潤沢なオイルマネーの恩恵を受ける

 

20世紀初頭、オマーンと日本で

父オマーン国王タイムール・ビン・ファイサルTaimur bin Feisal

タイムールは6度結婚し、5人の男子と1人の娘をもうけました

 

母 大山清子さん

20歳以上も離れた相手と結婚

 

19世紀後半、蒸気船が普及し、帆船での交易が主体だった中東のオマーンの交易は急速に衰退。47歳のタイムール国王の時代は、国内での内陸部と沿岸部の対立に加え、イギリスなどの西洋諸国の干渉により、政権がまともに機能しない状況でした

タイムールは父王の死後20年ほど国政を執ってきましたが、1931年、息子サイードに王位を譲ると世界中を旅する生活をはじめ、昭和10年(1935年)、憧れていた日本の土をはじめて踏みました。

 

お忍び訪日の翌年6月、神戸のダンスホールで神戸市の大山清子さんに出会います。彼女は、神戸税関に勤め当時19歳。父は大工。

一目ぼれした元国王は自分の身分を明かさないまま何度か断られるものの、滞在中めげずにアプローチを続け、3ヶ月後には求婚。

清子さんの母親は反対し。「日本に永住するなら結婚を許す」とします。元国王は「永久に暮らすため 身の回りを整理してくる」と母国に戻り、3人の夫人に財産分与し王族の身分を放棄、ヨーロッパでの贅沢な旅を終え半年後に来日し再び求婚。

身分を何も知らない母親も結婚を認め、36年5月5日に挙式。神戸市内に構える 給仕やメイドも3人いるぜいたくな暮らしでした。翌1937年には王女が生まれ、国王サイード(息子)弟のターリクがお祝いに来日し、清子さんは夫の身分を知ったそうです。

 

ただ元国王がボンベイに滞在していた39年11月、清子さんは23歳で 腎盂炎で急逝。

元国王は訃報を受け、神戸に戻り嘆き悲しみ、1940年「王族の財産を娘に譲るため、一度オマーンに戻る」と言い残し幼いブサイナ(聖子)を連れ療養地インドに渡ります。娘をオマーンの第一夫人の元に預け第二次世界大戦の影響などもあり、日本に戻ることなく娘とも8歳の時にあったきりで1965年に78歳で亡くなりました。

 

1950年代から60年代、オマーンの政治の混乱は続いており、タイムール前国王の息子サイードが独裁政をしき、内乱が勃発。それにイギリスが干渉し、紛争が拡大。

オマーン首長家に引き取られた王女は異母兄のサイード王によって離宮で長く幽閉状態で、完全なオマーン人として育てるという方針をとられ、王女は日本人の血を引くという出生の秘密は国民に対してひた隠しにされたとか。

 

 

1978年、42歳になられた王女は清子さんが眠る兵庫県稲美町の墓を訪れ、お参りをしました。その後、父の孫にあたる現国王がクーデターを起こし実権を握って以降、ようやく自由の身になったそうです。

 

現在は王女に日本の血が流れていることは国民に知られており、親日国、日本が最大の貿易相手国だとか。

東日本大震災が起きるとオマーンの王族系の企業から迅速な支援のために南相馬市の落合工機に26億円の浄水器の発注がされたりと

東日本大震災で義援金が寄せられたのはアメリカ、台湾、タイに次いで4番目に多額の支援をしてくれたのが、オマーンだったとか。

 

 

 

1983年にオマーンの王族によって立ち上げられたフレグランスメゾン『アムアージュ』は、フランキンセンスやミルラ(没薬)、ロックローズなどオマーン国内のナチュラルな素材にインスパイアされた香りを作ってきました。

現在、『アムアージュ』を経営するのはオマーンの王族ではありませんが、香水のボトルキャップは今でもオマーンのマスカットにある「スルタン・カブース・グランド・モスク」の屋根を模しています。