Princess Grace and Princess Stephanie
長女、長男を出産後、グレースはステファニー公女を授かるまで(正式な年月日は発表されていませんが)流産を繰り返していました。
結婚後慣れないフランス語、細かい公室の規則などに泣かされます。
グレースの好む食事や装飾もアメリカ的と非難されたこともありました。しかし独身のレーニエ公の住んでいた宮殿は閉鎖的で、一歩部屋を出れば誰かが申し付けがあると寄ってくる...第1子出産前、落ち込むグレースにレーニエは忙しくしていた方が良いと宮殿の修復の仕事を任せ、グレースは大々的な改装をしプライベートを守れる空間を作りました。また公妃としては珍しく、子どもたちを母乳で育てました。疲れる生活の中、公妃として9年目の待望の第3子はグレースにとってもまた特別だったようで生まれた時から、自由に育てられ、モナコの学校に通った上の2人とは違い、パリの学校に通い自立心を養うようになります。
1954年 25歳。「喝采」でアカデミー主演女優賞を受賞。
1956年1月5日 モナコ公国 前年カンヌ映画祭で出合った大公レーニエ公と婚約を発表。
1956年 26歳。レーニエ大公の希望でミュージカル映画『上流社会』で女優業を引退。
1956年4月19日 26歳。モナコ公国大公レーニエ3世(在位1949-2005年)と結婚。
1957年1月23日 第一公女 カロリーヌ・ルイーズ・マルグリート出産
1958年3月14日 皇太子 アルベール・アレクサンドル・ルイ・ピエール 出産
流産を経験
1965年2月1日 第二公女ステファニー・マリー・エリザベート出産
1967年 流産
1970年 流産
1982年9月13日 52歳。モナコで17歳の娘のステファニーとドライブの途中、カーブを曲がりきれずに崖から滑り落ち、脳内出血が原因で死亡。崖から落ち車外に投げ出された ステファニー公女は「助けて!ママがまだ中にいる」と叫んでいたそうです。 自殺とも、脳こうそくを起こしていたとも言われていますが、大事故だったにもかかわらず、その美しい顔は奇跡的に無傷でした。
夫のレーニエ大公と子供達はグレースを失って初めて彼女の存在の大きさや彼女の深い愛情、また自分たちの残酷さに気が付づき、「家族が一つになる」というグレースの 最後の夢を自分たちの家族のために行うようになります。
しかし生前も悩ませたステファニー公女は母の死後 奔放な人生を重ね、モデル、化粧品の広告、歌手としてCDを発表。
1989年に殺人嫌疑のかかった過去を持つ仏人男性との結婚を望むも父親のレーニエ公は大反対。この男性は、週刊誌から金銭を受け取り、トップレス姿の王女とプールサイドでいちゃつく姿を写真に撮らせた愚か者でした。
翌90年には実業家の男性と婚約するも、詐欺による逮捕歴が明らかになり破局。
その後自身の警護を務めた男性との間に未婚のままルイ・ロベール・ポール(1992年 - ) ポリーヌ・グレース・マギ( 1994年 - )の2子をもうけ95年に結婚するも翌年、夫がモナコの豪華別荘でストリッパーと写真を撮られ離婚。
その後、別の男性との間に、未婚のまま3人目のカミーユ・マリー・ケリー(1998年 - )を出産。03年にサーカスの団員と結婚するも、翌年離婚。
同時期、38歳の王女はスペインの大衆紙で、エイズ患者への支援を表す赤いリボンを体に巻いた、チャリティー・ヌードを披露。今は3子のよき母として公務に励まれています。
グレース・ケリー 1956年9月 第1子懐妊発表→●
【モナコ公室】 ステファニー公女 第1子、第2子の父親ダニエル・デュクリュエ(Daniel Ducruet)写真→●
【モナコ公室】2014年1月ステファニー公女と娘たち ポリーヌ&カミーユ 父親写真→●
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