ルイーズ (アーガイル公爵夫人)
ルイーズ・キャロライン・アルバータ(Louise Caroline Alberta, Duchess of Argyll, 1848年3月18日 - 1939年12月3日)は、イギリス女王ヴィクトリアと王配アルバートの四女(第6子)として、バッキンガム宮殿で生まれた。姉にドイツ皇后ヴィクトリア、ヘッセン大公妃アリス、兄にエドワード7世らがいる。ルイーズはアーガイル公爵ジョン夫人となった。91歳で死去。
ヴィクトリア女王は花婿候補としてスコットランドのアーガイル公爵の後継者、ローン侯爵ジョン(第8代アーガイル公爵の息子) を選びルイーズとローン侯爵は1871年3月21日にウィンザー城で挙式。ルイーズは23歳になって3日後でした。
1840年にヴィクトリア女王の婚礼の際にホニトンレースの衣装とベールが織られましたが、このときは200人以上の特に優れた熟練者が7ヶ月もかけて編んだものでした。
ルイーズ王女の白いサテンの結婚式ガウンもホニトンレース(Honiton lace)の深い縁飾りで飾られました。レースのヴェールもホニトンレース(Honiton lace)で国家・国王のシンボルの花が散乱したデザインでした。Princes Arthur から贈られた2つのアーガイルブローチと言われるダイヤモンド・ヒナギクのピン(diamond daisy hair pins )が髪飾りとして適所に飾られました。
ルイーズ (アーガイル公爵夫人)夫妻には子供がいなかったため、このヒナギク・ブローチは遺産としてケント公ジョージ(ジョージ5世とメアリー妃の四男)と妃マリナに贈られ、マリナが着用。
現在息子のマイケル・オブ・ケント殿下の夫人の所有となりました。
(アーガイルブローチは左胸あたりに確認できます)
またルイーズが結婚式で着用したブレスレットはローン侯爵からのプレゼントでした。( ※「アーガイル公爵」位の次代の継承者が「ローン侯爵」。夫は1900年までは「ローン侯爵(Marquess of Lorne)」の儀礼称号を称した。)
ヴィクトリア女王からの大きな純粋なサファイアと多くの真珠が施された美しいペンダント装飾を与えられ、結婚式の日にダイヤモンド・ネックレスにこのペンダントをつけました。このペンダントは現在マイケル・オブ・ケント王子妃が使用しています。
The Diamond Riviere of Princess Louise
1878年、ローン侯はカナダ総督に任命され、同年11月夫妻はリヴァプール港からカナダへ出発。ルイーズ王女はカナダで人気があり、隣国アメリカ合衆国まで訪問。
ルイーズは姉妹の中で最も美しいといわれ、王族のたしなみ事以上に芸術の才能があったそうでイギリス王室の誰よりも抜きん出ていたとか。作家、彫刻家であり、絵画では、油彩でも水彩でも見事な作品を仕上げていました。
1880年2月、ルイーズはオタワの路上で転倒し重傷を負いこれを聞いたヴィクトリア女王は、心配と娘の不注意とで怒ったそう。ルイーズは全快すると、総督職の夫を残してイギリスへ帰国し、それは2年間にも及びました。
妃マリナとアーガイルブローチ(胸に飾っています)
マイケル・オブ・ケントやアレクサンドラ・オブ。ケントの母
December 1949: Marina, Duchess of Kent (1906 - 1968), daughter of Prince Michael of Greece, visits the Royal Society of British Artists Exhibition at the Suffolk Street Galleries, London. She is viewing 'The Fledgeling' by Folkard.
![アーガイルブローチ](https://stat.ameba.jp/user_images/20160703/22/audrey-beautytips/5c/eb/j/o0258047113688618826.jpg?caw=800)
マイケル・オブ・ケント王子妃マリー=クリスティーヌ
Princess Michael 。アーガイルデイジーブローチArgyll Daisy Brooch を身に着けて
The Diamond Riviere of Princess Louiseを身に着けて
マリナ妃からマイケル・オブ・ケントに渡ったジュエリーはたくさんありました。
マイケル・オブ・ケントの誕生時に夫のジョージ・オブ・ケントからマリナに贈られたWild Pansy Brooch (首元)
なお、ヴィクトリア女王の両親は父ケント公爵エドワード(ハノーヴァー朝第3代英国王ジョージ3世の四男)で母ヴィクトリア妃 (ザクセン=コーブルク=ザールフェルト公国の公フランツの娘、初代ベルギー国王となるレオポルド1世は弟、娘婿となるアルバート公は甥(兄エルンスト1世の子)。)
生誕時のヴィクトリアのイギリス王位継承順位は3人の伯父、摂政皇太子ジョージ、ヨーク公フレデリック、クラレンス公ウィリアム(後の英国王ウィリアム4世)と父ケント公に次ぐ第5位。
ケント公の現保有者は国王ジョージ5世の孫である王子エドワード。
1799年4月23日、国王ジョージ3世の四男(ジョージ4世、ウィリアム4世の弟)である王子エドワード・オーガスタスが「ケント=ストラザーン公」として叙されたがエドワードもまた後継者を持たなかったため(一人娘ヴィクトリアは王位を継承した)、これも1代限りで廃絶。
1934年、国王ジョージ5世の四男(エドワード8世、ジョージ6世の弟)であるジョージ王子がケント公に叙され、1942年に、ジョージが航空事故により死去したことにより、長男であるエドワード王子がこれを世襲し、現在に至ります。