憂いを秘めた上目使いと輝く笑顔、飾らなくとも品のある立ち振る舞い、囁くように滑らかな声...最も印象的なのはやはり瞳。
何度かご紹介していますが、ダイアナ妃はメイクのポイントとして時々ブルーのインサイドラインを入れています。
HRH Princess Diana
「地球の何万の人が私を愛してくれるけれど、実際は欲しいたった一人の愛が得られない」
すべての手にいれたかのように見えても、彼女が手に入れられなかったもの、それは「真実の愛」。
夫チャールズ皇太子は幼いころから将来王様となるべく愛情や感情表現を抑える訓練をされた、決められたスケジュール淡々とをこなす王族であり、愛情深い家庭を夢見た自由に育った貴族のダイアナとの価値観や愛情面での溝がありました。
世界で一番多く写真を取られ、記事にされた人間であったダイアナは自分の記事の切り抜きを集めさせ、どうすれば美しく写真を撮られるかを研究したりもしたそうです。毎日髪はプロに任せ、メイクアップは自ら行い、整うまでは人前に出なかったそうです。
自身の青の瞳をより魅力的にみせるように、下のラインにエリザベス・アーデンの青のラインをひき、同じくエリザベス・アーデンのネイビーブルーのマスカラを。
1979年8月にチャールズ皇太子の慕うマウントバッテン卿がアイルランド民族主義団体「IRA」に暗殺された後、チャールズ皇太子の証言によれば、1980年7月にサセックス・ペットワース近くのカントリーハウスでバーベキューをしていた際にマウントバッテン卿の死を悲しんでいる皇太子を18歳のダイアナが「貴方の寂しさは理解できるし、貴方には誰かが必要だ」と慰めたことに皇太子は心打たれたそう。
暗殺の後開かれた王室のサンドリンガム邸で開かれたパーティにダイアナらスペンサー伯爵家令嬢たちが招かれ、気に留めていなかったダイアナが美しく成長していたことから皇太子から招待を受けるようになり、親しい友人になっていました。
結婚前ダイアナはスペンサー伯爵家の令嬢であることは伏せ、匿名でパーティのウェイトレスをしたり、家政婦、保母などをして働いていました。
ダイアナは実家の邸宅オルソープ邸にいた頃、何もやることがなくてストレスがたまると通りすがった使用人を捕まえたり、誰も通りすがらなかったら台所へ行っておしゃべりをしていましたがバッキンガム宮殿内は身分で動いており、ダイアナが台所へ行こうとしても使用人から「ここから先は手前どもの領分、そこから先が妃殿下の領分です」と立ち入りを断られ皇太子の近侍からそのことを注意されました。もちろんそれが王室のルール。
結婚時のダイアナ妃の年齢は20歳、チャールズ皇太子33歳。
王室に入る前から、王室が持つ威圧的な空気には慣れないと思っていましたが妃教育はほぼなく、公務でその場で教えられる以外は、誰も王室での仕来りやマナーについて教えてくれませんでした。
20歳の結婚すぐハネムーンが終わると、女王との同居生活が始まります。毎晩開かれる女王の晩餐会は1時間から2時間かけてゆっくり行われ、食事の終了は女王が決めるまで誰も席を立つことは許されないものでした。
皇太子と切り離され、自分と接点のない立派な男性二人に挟まれるため、女王の前で馬鹿げたことを口走ってしまう事態を恐れていつも沈黙していました。皇太子は永遠と続く晩餐会に慣れているもダイアナはこれまで早々に食事を済ませて自分のやりたいことをする生活を送ってきたため大変嫌だったそうです。
皇太子に仕えたスティーブン・バリーによれば1981年12月(結婚5か月、ウィリアム王子妊娠初期)にダイアナが皇太子の書斎に入って来て、気分が悪いのでどこにも行かないで側にいてほしいと皇太子にお願いするも、皇太子は医者を呼ぶから横になっているよういい、公務があるからでかけなければならないと穏やかに説得。
ダイアナは「医者など必要ない、貴方が側にいてくれればいい。貴方の頭の中にあるのは、公務だけなのね。そろそろ私のことを考えて下さってもいい頃だわ。卑しくも私は貴方の妻なのですから」と部屋を飛び出すも、皇太子は首を振りながら深刻な顔で足元を見つめていたそうで、感情をコントロールすることになれているチャールズ皇太子は、妊娠や環境の変化でより不安定になり人前で涙を流したり、感情を露わにする妻をどうしていいのかわからなかったとか。
ダイアナは孤独と戦いながらも、規定通りの生活ではなく、出来ることを考え、挑戦することを選び、王室の慣習を破って、王子たちをできるかぎり自分の手で育てるように決意しました。
チャールズ皇太子も寄り添おうとしたことがありました。
第1子の出産に際しては皇太子はダイアナの手を握りながら励まし、誕生後は秘書官たちの反対を押し切って公務への出席を減らし、ダイアナと一緒に王子を育てることに専念。ダイアナにとって最も幸せな日々でした。
1984年9月15日、第3位王位継承権者である次男の誕生の際も皇太子は出産に付き添い皇太子は公務をさらに減らして次男を可愛がりました。
(ただチャールズ皇太子は二番目の子は女の子を欲しがっており、男子と知ると「何だ男か。しかも赤茶色の髪じゃないか」と述べダイアナ妃の心が変わったとか。)
皇太子の父であるギリシャおよびデンマーク王子であったエジンバラ公フィリップ殿下は、王となる皇太子が家族にかまけて公務をないがしろにしていることを批判。抗議の意味を込めてエジンバラ公はヘンリー生誕から5カ月に渡ってヘンリーの顔を見ようとしなかったそうです。
エリザベス女王もDuty first, self second.”私事 より義務が先んずる( 公務/義務が最優先、私事は後回し”)を徹底。それが王族としての「当たり前」であると思うと、やはり一般との差を感じてしまいます。
育った環境が違えば価値観が大きくずれてしまう。どちらが悪いとは言えないことです。
ただ、理解しあえず、夫婦の溝を埋める努力をせず夫は結婚10年前からの関係のあった女性のもとに...。
ダイアナ妃の事故から8年後、チャールズ皇太子とカミラが出会ってから30数年の時を経て再婚。13歳年下のダイアナが求めていた愛をチャールズ皇太子自身が分け与えるよりも与えてほしかった。エリザベスからもらえなかった母性や癒しをカミラから与えて貰ったのでしょう。
哀しいけれど、愛を得られないこと、そして「覚悟」を決めた時からダイアナ妃の美しさや内から放つオーラを加速させていきました。
メイクであっても内面であっても、「自分を研究する、客観的に見る」それは自分自身を冷静に高める近道かもしれません。