オードリー・ヘップバーン 結婚式 (1954) | Time Tested Beauty Tips * Audrey Hepburn Forever *

Time Tested Beauty Tips * Audrey Hepburn Forever *

私の大好きな 美しいもの、綺麗なもの、かわいいもの。 そして 美しい人、綺麗な人、可愛い人をご紹介したいです。
麗しい、美しい、 愛しいものを......
オードリーをはじめとするハリウッドセレブからダイアナ妃やグレース・ケリーなどの各国 王室・王族も。

1954年9月25日 オードリーAudrey Hepburn とメル・ファーラーMel Ferrerの結婚式の写真です。

Audrey Hepburn 25. September 1954

1952年、『我らモンテカルロへ行く』We Go To Monte Carloの撮影でモナコにいたオードリー。撮影中『ジジ』の主役を探していた作家コレット女史がオードリーを見て、隣にいた夫に「私のジジがいたわ」と叫んだことで有名です。 これでブロードウェイの舞台劇『ジジ』の主役に大抜擢され、この『ジジ』公演の前、ロンドンで受けたフィルムテストによって『ローマの休日』の主役にも抜擢され、52年6月からローマでの撮影に入りました。


Audrey Hepburn 25. September 1954

1953年、オードリー24歳のとき「ローマの休日」が公開されます。同年、デザイナーのジバンシーとの出会いがあり、「麗しのサブリナ」で共演したウィリアム・ホーデンと恋に落ちますが、ウィリアムが子供が出来ない身体と知らされたオードリーは別れを決めます。また、この年に夫となるメル・ファーラーに出会い、舞台「オンディーヌ」での共演が決まります。舞台出演中、彼女はアカデミー賞主演女優賞決定の知らせを受けました。



Audrey Hepburn 25. September 1954

1954年、オードリーは「ローマの休日」でアカデミー最優秀女優賞を、そして3日後、舞台「オンディーヌ」でトニー賞(アメリカの映画、アカデミー賞と比較される演劇及び、ミュージカルに与えられる賞)をダブル受賞します。 彼女はアカデミー賞、トニー賞、エミー賞、グラミー賞を全て獲得した9名の中の一人でもあります。

Audrey Hepburn 25. September 1954


本当にかわいい♪

しかし、この当時オードリーは急激にスターになってしまい環境の変化についていけなかったり、離婚暦のある子持ちの12歳年上のメルとの結婚を貴族出身の厳格な母親に反対されてしまい、ストレスと過労で、そして母とメルの間に挟まれ食事を受け付けなくなり、衰弱してしまっていたそうです。マスコミから逃れるためスイスで療養をし、母の反対を押し切りメル・ファーラーと結婚。




Audrey Hepburn 25. September 1954

このオードリーの写真大好きです。


オードリーはこの24歳のときの結婚式の祭、ジバンシーが彼女のためにのデザインした白のシルクオーガンジー製のウエディングドレスを襟元の小さなショールカラーを立て着こなしました。ふくらはぎくらいまでの長さのティーレングスは豪華な刺繍もレースもついていないとてもシンプルなデザインですが、彼女のLess is moreの精神を際立たせています。

1969年39歳の時二度目の結婚式に着たのはジバンシーのデザインした薄いピンクのモヘアとカシミアでできたジャージーのミニドレスでした。また同じ色の布をあごの下で結びヘアドレスにして身につけました。