アメリカ人の生徒が学習に必要な英語力というのは、だいたい高校生くらいになってようやく身につくものらしい。

 

日本でいう国語と同じで、日本語を話せるからといって読解力があるとは限らないように英語を話せても学習に必要なほどの能力があるとは限らないのだそう。

 

たとえ両親がアメリカ人でアメリカで生まれ育っていても、学習において求められる英語力は簡単には身につかず、学習過程において少しずつ身につけていく必要があるのだそう。

 

だとすると、うちのような非英語圏のバックグラウンドを持つ子供は、もっと時間がかかるんだろうか。

 

と思ったら全然そんなことはなく、うちの子供はむしろ平均よりすこし上の英語を力を身につけているのだそう。

 

っていうか、だったらなんでうちの子供はESLなんだろう。

 

もちろん、それは州の補助金を少しでも多くもらうため、教師を加配してもらうためのスクールの策略だということはわかっています。スクールの、というか校長の都合でむりやり転校させられたことは、これまでに各方面から証言を得ているので。

 

でも、それ以前に、本当にスクールでESLっていうものが必要なんだろうか。大人のESLのようにアメリカの文化を教えるわけでなく、日常会話を教えるわけでなく、ただ単にその日の授業に必要な単語を教えて去っていく教師。

 

本当に、必要なんだろうか、そんな人。

 

うちの子供は学習に必要な英語力が身についていると評価されている一方で、宿題をやっているときに明らかに文章を理解していない時があります。

 

本来そういう生徒はサポートプログラムがフォローし、それは ESLとは別のものですが、ESLの生徒は色メガネ的に「外国人だからわからないのだ」と判断されがちで、本当はサポートプログラムの方がいいと思うのですがESLがフォローしている様子。

 

でも、ESLは本来それが目的ではないので全然フォローできてない。というよりも、ESLの教師はどう見てもお門違いな仕事をさせられているのです。

 

それってつまり、うちがESLじゃなかったら本来あるべきサポートを受けられたということか。

 

なんかもう、どこまでも腹立たしい存在だな、ESLは。