「当然」か「不要」か 会社が社員に課す「ノルマ」の功罪

■社員にノルマを課すのは逆効果 その理由とはそもそも、従業員にノルマを課す企業の思惑とはどのようなものか。
そこには当然ながら業績の向上があり、従業員を管理したいという思惑もある。 >ただ、従業員をノルマで縛りつけることで、業績は上がるのだろうか?

>会社として従業員にノルマを負わせることにはメリットもある。

課せられた数値目標を達成するためにはどうすればいいのかを考えさせ、

実行させることによって、営業であれば売るためのスキルは身についていくだろう。

ただ、こうした働き方は決して「主体的」とは言えない。

ノルマとは、本人の意志とは別のところで課された義務だからだ。

義務を果たすための行動を主体的とは呼ばない。そして、こうした働き方を長く続けることはむずかしい。

社員はノルマをこなすために入社するわけではない。

その人なりにその会社でやりたいことがあって入社してくる。

そうした人材にノルマだけを与え続けると、次第に疲弊し、モチベーションは失われる。

人材それぞれへの影響だけではない。本書では、ノルマを課すことの組織への悪影響についても指摘している。

ノルマを追うことによって、それ以外のことへの関心度は下がる。

最終的に行きつくのは「ノルマさえこなしておけばOK」という思考だ。

そうなると、組織全体の改善のアイデアや、新しいビジネスのアイデア、自社が提供しつつある新しい価値についてのアイデアは生まれない。

こうなった会社はジリ貧だ。未来についての新しいアイデアを生む時間を削って、目先の利益を作っている状態だからである。

ノルマという短期目標を追わせた結果、会社の将来が損なわれてしまうことが往々にして起こりうるのだ。

経営陣がそのことに気づいた時にはもう遅い。方向転換には大変なコストと時間がかかる。

「あと何件で売り上げ達成?」

「売り上げを達成してから言いたいことを言え」

長くこんな言葉が飛び交ってきた日本の企業だが、ノルマがなければ社員は働かないというのは経営側の思い込みにすぎない。

■ 残業は文化である

2019年も残すところ、あとわずかとなった。来年4月から大企業のみならず、中小企業もすべて残業上限規制の新ルールが適用(原則として月45時間・年360時間)される。そんなご時世なのに、今年1年も「終わらない残業」に苦しんだビジネスパーソンは多かったのではないか。

<私は残業を、野球でいうところの「延長戦」だと捉えている。したがって毎日残業している人は、毎日「延長戦」をやっているようなものと受け止めてほしい。労働条件の悪い「ブラック企業」とレッテルを貼られる前に、不毛な残業は一掃したい。>それにしても、なぜ残業はなくならないのか?

私は企業の現場に入って目標を絶対達成させるコンサルタントだ。「絶対達成」がスローガンだから、現場に入ったら本気で残業を減らしてもらう。だが実際のところ、簡単に残業は減らない。なぜなら、残業は「組織の文化」だからだ。

>■ 残業しても許される「空気」<残業は、組織の文化だ。・残業したほうが頑張っていると評価される「空気」

残業するのが「あたりまえ」だと信じて疑わない「空気」<このような空気が組織にある限り、「終わらない残業」は減らない。残業ゼロにしたい、休日出勤を減らしたいとは口にしていても、実際にはその空気が許さないからだ。

>「同調圧力」である。どんなに業務の棚卸をして「ムリ・ムダ・ムラ」分析をし、個人個人に働きかけても、残業がなくならないのはそのせいだ。

■ 不人気なレストラン >「終わらない残業」を社員にさせている企業は、組織文化そのものを変えない限り、未来はないだろう。そのような組織文化の企業に、優秀な人財が入社するとは思えないからだ。いっぽうで、いつも「終わらない残業」をさせられている人は、自覚したほうがいい。知らぬ間にマーケットバリューが落ちていることを。先述したように、「終わらない残業」をさせるような企業に優秀な人財は来ないそのような組織にいて、「終わらない残業」をさせられつづけたら「思考停止」になってしまう。この会社を変えようという改善意欲も出てこないし、転職するために自己研鑽する気にもならない。>ずっと「不人気なレストラン」へ通い続ける客と同じ状態になっているのだ。他にもたくさん、良心的な値段で、美味しい料理を出す、しかも笑顔のステキな店員がいるレストランがあるというのに。だから、あまりに思考停止だと、転職という選択肢も思い浮かばないことが多いのだ。 >企業の再生支援をしている際、なぜこのような、優秀な社員がこの会社にいるのか」<と驚くときがある。本人に聞いても、ハッキリした理由はない。会社に恩義があるわけでもないし、世話になっているお客様がいるわけでもないと言うのだから。 ■ 考える力を養え=>それでは、なぜ思考停止になってしまうのか? 理由は単純だ。脳に空白がないからだ。毎日余裕がないから、脳に空白を作る暇がない。そして空白がないから、その空白を埋めようと思わなくなる。>では、空白を作るにはどうすればいいか? 

>簡単だ。切り口の鋭い質問をすればいい。一度立ち止まり、冷静になれる時間を見つけて、自分に対し、質問してみるのだ。たとえば、以下のように。・実際に、「終わらない残業」って何だろう?

・誰が、「終わらない残業」を自分にさせているのだろう?

・「終わらない残業」って、本当に終わらないのだろうか?

・本当はもっと早く終わるのに、自分自身で「終わらない残業」にしていないだろうか?

・「終わらない残業」を終わらせるのに、自分は何をすればいいのだろうか?

・「終わらない残業」をやらないと、どうなるのだろうか?

・「終わらない残業」をやりつづけると、どうなるのだろうか?

このように、いろいろな質問を自分にぶつけてみよう。あらゆる角度で自問自答してみるのだ。それだけでいい。

答えがわからなくても、一つでなくても、かまわない。質問をすることで脳に空白ができる。その空白を頭に残しながら日々過ごすのだ。そうすることで、少しずつ頭がまわりはじめる。思考停止状態から抜け出せるのだ。「終わらない残業」を終わらせるために、まず考える力を養うことをめざそう。

decoration: none; text-indent: 0px; text-transform: none; -webkit-text-stroke-width: 0px; white-space: normal; word-spacing: 0px;">長くサラリーマンをやってきて、ノルマとか実施計画の進捗報告という「管理側」の都合で右往左往させられてきた。

一方でISO審査員・プロの経営監査人としては、KPIがある事は運用の仕方次第で人的資源の力量成長に資するとも思う。

但し、多くの日本の企業が設定しているノルマや実施計画の内容は、実施する社員を評価するのに適していないし、仮に社員が成果を出しても、適切に納得感がある形で評価され本人自身も己の成長に喜びを感じるというレベルに無い。

私は長年、会社の実施計画と共にそれによって得られる自分自身の為のMy実施計画を自ら作りモニタリングし、自分自身にどう反映され自分の人生にプラスになっているか、を意識してきた。

つまり組織としてのノルマや実施計画と個人としての力量やキャリアプランとのシンクロが必須だと思う。

例えば、あるノルマやミッションが所属する組織から課せられた場合(または自分で設定する事もあるが)、その結果得られた実績やノウハウに基づいて公的資格の条件を満たす等の「仕掛け」を作っておくのである。

そうしないと単に組織都合で、他人に押し付けられた目標遂行だけで心身ともに損耗するだけである。

結果、どのような成果評価をされ賞与などに反映されても反感や脱力感を積み上げるだけとなる。

更に言えば、その組織だけでしか使いものにならない労働力にされるだけとなる。それは凄まじいリスクだ。

ノルマや実施計画を管理する側からすると、およそTVドラマみたいな「凄いね!君!」なんて事は皆無だし、その気も無い。

というか、もしノルマや実施計画を達成しても、「やって当たり前っしょ」ぐらいであり、「じゃあ、来年はもっと出来るね」となるだけなので、酷い蟻地獄なのだ。むしろ目標より成果を出しても「いや、相対評価だからね」とはぐらかすだけだ。

ノルマや実施計画ありきの組織は、どんどん「お役所的」になり社員のオリジナリティやクリエイティビティは無くなる。

前の人がやっていた通りにコピーすればクリアぐらいの感覚となる。それは「バカの循環」となっていく。

20代~40代の方々は、PCで綺麗にコピペするのは得意だが、本当に自分の頭で考え自分で行動し自分で稼ぐという力は日々削がれて他の組織でも通用するプロフェッショナルから遠ざかる事を改めて考えるべきだろう。