36年ぶりのオーストラリア、、、  | 西野和馬のオーディオ西方浄土パート2

36年ぶりのオーストラリア、、、 

M君と古いお寺を見に行ったのが、11月の終わり、、、

実は、10月の終わりには、同居していた義理の母が他界、、ちょうどそのころ、コロナにかかっていて、匂いがしないという後遺症が続いて体調絶不調が続いていたのでしが、故人の遺言で一切面倒お断りということで、本当に身内だけで儀礼的なものは一切行わず、完了して、こ~いうのが一番いいなあと思ったのでした。

 

で、仕事の関係で、12月のはじめからオーストラリアはシドニーに出張することになって、なにしろ36年ぶりのオーストラリアどころか海外旅行というので、ばたばたしていたのでありました。最後に行ったのと、何が変わっていたかというと、ビザとかそういう手続きを、全てオンラインでやるようになったこと。なにしろ、ETAというオーストラリアの観光ビザ的なものを取るのに、ネットに繋げて、パスポートのデータをカメラで送ってあたしの顔を認証したりするんだもの、、しかも、その手続きに2千円ぐらいかかるのだからびっくりなのでありました。

 

しっかもしっかも、こちらもあちらも出入国手続なんかも、電子的にやるようになっているもんだから、もう全く具合がわからず、担当の方にすいませおせ~てくださいと平身低頭してなんとか切り抜けたのでした(笑)。 

 

という訳で、熊本空港から羽田、羽田からJALのボーイング787に乗ってシドニーまで約9時間の旅でありました。いや、しかし、最後に行ったときはジャンボジェット機だったけれど、787っていうのは、座席の前にモニターがあって、観たかった映画が何本も観られるのだからたまりません。おビールなどいただきまして、ごはんも御馳走になって、たて続けに映画を見ていたら、そのうち、オーストラリアの空域に達しておりました。

 

30数年ぶりだから、いや~なつかし、ひっさしぶりと感動がこみあげて来るかなあと思ったけれど、実はそうでもなく、ああ、相変わらずの光景だなあとにやにやしたぐらい(笑)。

 

で、ついた初日はスケジュールがなかったので、シドニー市内を観光、、、

いやあ、変わりましたねシドニー、、、前は、のんびりしたきれ~な町という感じがっただけど、今やなんというか国際シティという感じで、高層ビルが立ち並び、歩いても、一体どこにいるんだっけと迷うほどなんであります。

それでも、オペラハウスやら久しぶりに見て、、昔よく散歩したところなんかも、ずいぶん変わっていて、逆に前と変わらないバス停なんかがあって、これはなつかしい~(笑)。学校からバスに乗って、ここで降りて、歩いてオペラハウスまで行ってシドニー交響楽団の定期演奏会にとか行ってましたよ~(学生は半額以上で入れたから、ものすご助かった)。

 

しっかし、外国は12月の頭は、もうクリスマスホリデーなんだろうか、観光客が多いこと多いこと、、、もう町中観光客であふれんばかり。日本人の若い観光客も元気でした。 

 

 

お昼をオペラハウスの近くのカフェに入って、フィッシュアンドチップスをいただいたのだけど、ウエィトレスの女の子がとてもきれいだったのだけど、話してみたら、強い癖のある英語だったので、多分、ヨーロッパ(ウクライナ)から来た子たちかなあと思いました。ヨーロッパの戦争の影響が、ここにも押し寄せきてるのかあと思いました。 

 

この日以降は、ずっとお仕事。

1週間ほど滞在して帰国。

羽田近くのホテルに一泊して、翌日、6:30の便で帰熊。飛行機から見た日の出が実に美しかったのでありました。

 

 

それにしても、久しぶりのオーストラリアだったのだけど、あんまり感動しなかったのは、どういう訳なんだろ、、

 

多分、年取ったとからだと思うな。20代のころは、未知の国へのあこがれというか、英語の国へのあこがれであふれていたものなあ、、その勢いで、その国にずいぶん長く住んだものなあ、、、今考えると、よくそんな無謀なことを、一人で外国で生活するなんてことをやったものだと感心してしまいます(笑)。そう考えると若いってすごいなあ(笑)。あんなこと、今やれと言われてできません(笑)。 

 

さて、今回は仕事だったのだけど、ぢゃ、プライベートで観光だったらまた行きたいか? ん~、もう行かないかなあ、遠いし、、

 

今は、家にいて、一杯やりながらオディオで音楽聞くのが一番いいです(笑)。

それに、なにしろ外国に行かなくっても、ネットで、イギリスやアメリカのオーディオの生話が簡単に聞けてしまうから、特に現地にいかなくてもい~か~なんて感じでありますから、、、ぐ~たらのあたしは、今回のシドニー行きが、人生最後の海外旅行になるかもしれませんね(笑)。 

 

 

帰りに読むもんがないから、空港でオーストラリアの「ステレオサウンド」みたいな雑誌を買いました。(Audio Esoterica hi-fi)

 

つらつら読んでいたら、なんと、故村井先生の愛機だったハルクロのアンプが復活した記事がありました。そ~言えば、ハルクロは、オーストラリアのメーカーでしたね。ものすご高かったなあ、あのアンプ、、

HALCRO dm68の仕様 ハルクロ さん

(復活したのは、ステレオバージョンのみとのこと)

 

村井先生は、ハルクロのプリとメインアンプでもって、これもウルトラ高価格のルーメンホワイトを鳴らしておられました。あのコンビの音をあたしも何度か聞かせてもらったけれど、どんな音だっか、、あんまり記憶にありません。村井先生は、むしろFALのスピーカーをよく使われてみたいだけど、、

 

ハルクロ。いろいろ改良を加えて、あらたにスタートということでした。音を聞いてみたいけれど、、今回は、メインアンプだけとのこと、、、

日本にまた来るかな、、ハルクロ、、

 

とういう訳で、あたしの36年ぶりのオーストラリア行は、なにやら淡々と終わってのでした。