村井先生逝去より1年が過ぎました、、 | 西野和馬のオーディオ西方浄土パート2

村井先生逝去より1年が過ぎました、、

明日でオーディオ評論家 村井裕弥先生が逝去されて1年になります。早い早い、あれからもう1年がたつなんて、、

 

昨年の9月の終わりごろまで、お元気でメールとかもときどきいただいて、

10月はじめ、音もだちがメールで「先生が亡くなられたました」連絡してくれたのだけど、、にわかに信じがたいもので、、驚きました、、

 

村井先生とのおつきあいの中で、今でもよく思い出すのは、10年ほど前開催したオーディオ道場での「SATRIアンプ・インフラノイズアイテム試聴会」の翌日、福岡の「いつまでも青年」さんのお宅を一緒に訪問させていただいて、青年さんの超ど級のシステムの音を聞いて感動した後、熊本空港までお送りしたときのこと。車中の1時間ほどで、いろいろお話をさせていただく中で、今聞いたばかりの青年さんの音について「基本的にはJBLとアキュフェーズの音なんだけど、やっぱりオーディオはその人の本質というか、その人そのものが音に現れますね」と言われたことがとても印象に残っています。

 

当時の青年さんのシステムはJBLのエベレストとアキュのマルチアンプだったと思いますが、鮮烈かつエネルギー全開のすごい音だったのだけど、でも、その中になんともあったかいサムシングがあって、、青年さんのあったかさが、音に現れていたように思います。そのことを帰りの車中、村井先生に伝えたときのこたえがこの言葉でした、、

 

村井先生のお宅にも3回ほどお邪魔して、愛器ルーメンホワイトの音も聞かせていただいたことがありました。ものすごく音離れが良くて、、部屋中に音楽が展開しました。音離れのいいシステム、、音がSPにまとわりつかない、活き活きと音楽が鳴るシステム==そういうのが村井先生の音づくりの信条だったように思えます。

 

はじめてお会いしたころは、まだ中学校の国語の先生をされていて、教師業の大変さもお話していただいたりして、オーディオ評論家との2足のわらじの大変さを垣間見ました。その後、評論家一本になったころお話したときどうですかと聞いたときに、大変なこともあるけれど、基本的に楽しいし、この決断は正しかったといわれていました。

 

オーディオはもちろんだけど、それ以上に音楽特にオペラを愛されていました。私もいろいろ教えていただいたのだけど、いまだにオペラはまだ未踏の領域であります。

 

享年60歳。

あまりも早すぎて、これからオーディオ評論家として、さらに活躍が期待していたところでしたけれど、、

 

それでも、「晩年は、自分の好きなオーディオと音楽に邁進できたのだから、しあわせだったと思います」という奥様のお言葉は、わたしたちにとっても大きな慰めです、、、

 

村井先生は、オペラでは何が好きですかと聞いたら、ん~やっぱりベルディのものが好きだなあとのことでしたから、今日は、ベルディのレクイエムをかけて、村井先生のことを思い出しましょう、、、