ここは魔界であった。銀閣寺、哲学の道の近く。写真のとおりGospelという名前のジャズ喫茶、あるいはジャズをかける喫茶店を訪ねたのだが、間違って1階のドアを開けてしまった。アンティーク、古書がある店内。カウンターがある。何となく事前の情報と違う感じがして、コーヒーを注文した後で確認すると、Gospelは2階で違う店だということだった。
ジャズ喫茶を巡っていますと話して、しばし歓談。いや、歓談ではない、わけのわからない政治や音楽や日本人論やらの議論になってしまったのだ。
このジャズの旅、ちょっと大所高所から考えてみるのもいいなと思っていた所だったから、この議論に乗ってしまったのである。夕方6時に津山行の高速バスを予約していたから、それに間に合うように京都駅に戻るというのが唯一の制約。その間、できるだけ店を回りたかったのだが。予定ではこの上のゴスペル、その後ラッシュライフには寄れるし、途中見たビートルズ喫茶、ブルース喫茶みたいなのにも寄れたらなどと思っていたが、そんな計画は吹き飛んでしどまった。
途中、おいとまして2階に行くか何度か考えたが、自分にとって何か得るもののある議論ができるかもしれないと思い。もう高速バスの時間までここに居ようと決意した。その判断が正しかったかと言えば、間違っていたと思う。が、いずれにせよ。何でこんな議論を一見の客にふっかけ延々と話を続けるのだろうか。後で振り返ってみれば、それはそれは貴重な体験ではないだろうか。こんなことは他の土地ではあり得ない、京都だけのことではないのか。
細かい議論を紹介するのは、恐ろしい時間がかかるが、時事問題、文化論、社会評論とかそういうたぐいの議論を延々と説明され、それに私が合いの手を入れたり、相手の質問に答えたり、時々自説を述べたり、旅の目的を述べたり。話は7:3でカウンターの中の分量が多かったと思う。
バスの時間がいよいよ近くなると、内心私はイライラしていた。このままここにいるか、どういってここから去るか。もうタイムリミットだという時に電話がかかってきて、バスがあるのでといって外に出た。
「あーあ」溜息とついて、大通りまで走って戻る。それも結構な距離。最初は電車に乗ろうとしていたが、バスが難題も来るのでそれに乗った。途中重体。乗り遅れないかとイライラは頂点に達した。乗り遅れたらどうしようか。10分前くらいに到着。バス乗り場探しでまた慌てる。本当にギリギリ、バスに駆け込んだ。
どっと疲れが来た。
なんなんですかね。この京都という街は。修学旅行やらで来ていたはずだが、自分の知らない京都に初めて触れたようだった。そういえば他の店でも、えらいジャズに薀蓄のある常連客がリクエストを連発しながら酒を飲んでいたり。ジャズバーの隣の席では、遠距離恋愛風の男女が議論をしていた情景も、ここならではと思えてきた。女は理詰めで男の魅力のない点を諭している。総じてどういうことかと言えば、私には、男は絶対に地元に女がいて、そのために連絡が豆でなかったり、都合よく利用しているがために、態度が細やかでないのではないかと思われた。まぁ関東の感じなら、一言、二言で終わるか、女はもっと感情的になってうじうじしてるかだろうが、この京都女は理詰めなのだ。年上ならもっと自分の気が付かない視点とかを言って欲しいのに、それがないとか。いやー、だからそれは二股かなんかで順位が低いから適当に扱ってんじゃないの、とこっちは思うのだが。
京都って河ってるかもしれない。
