●独居で介護認定 & 緊急通報システム | 悲しみの歳月から生きる

悲しみの歳月から生きる

主人と死別して17年目に入りました。
永い歳月の中で悲しみから得た想い。
私の数々の病気や、67歳で先天性難病発覚した私の想い。
そして人生を振り返る想いも一緒に
今までの「日記」も紐解いていきたいです。

今, 現在進行形で数々の病気を抱えるようになり

ますます…一人暮らしの不自由さを味わっています。

 

また

今までの私の人生の中での病気の数々は、まだ書き切れないほどにあります。

 

 

 

 

しかし…

今は……

あの……

 

「卵巣嚢腫体内破裂・緊急手術」 39歳

「卵巣嚢腫&悪性かも知れない手術」「子宮筋腫全摘」 41歳

 

 

回とも、大手術の時には、腹部にどす黒い大量出血があり

ましては手術中に血が止まらず、それが「親がいとこ婚だったための病気」だとは

あの35年前には、日本ではどの医師も判らなかったのだと知り、

本当に「命」が助かったのが、不思議なくらいに感謝する想いです

 

 

 

 

手術後の「予後」は大変悪くて、なかなか体力が出ず

痛みは、365日、この67歳になっても…まだありますが

この事をブログに書けたのは、私にとっては救いになりました。

 

 

 

 

 

女性として

卵巣嚢腫」「卵巣癌」「子宮筋腫」の痛みは、言葉では表現できない痛みですし、「子宮内膜症」のあの痛みは、女性しか知らない痛みです。

時には生理がくるたびに、自分が「女」であることすら嫌になることも少なくありませんでした。

あまりの痛みに立っていることすらできない程でしたから。

常に貧血状態ですし、仕事でも支障が出ますが、理解されない辛さが正直ありました。

 

 

 

 

45歳の時には

「重症の椎間板ヘルニア」になり、

ヶ所が完全に潰れて神経を巻いている状態で、非常に重症でした。

右脚が、象のように太くなり…ハンカチ一枚が脚に触れても

叫ぶほどの痛みでした。

 

 

 

同病院内の「婦人科での手術記録」があり「特異体質」だと記されていたので、

整形外科で「手術は無理」と診断され、ヶ月間身体を動かすことも激痛のため、できませんでした。

 

 

 

主人には当時「50%の確率で, 一生車椅子」と医師から言われていたそうです。

 

 

 

幸いに、

難病の患者さんを診ている「東洋医学の鍼治療」の先生を知人から紹介されて

その先生の鍼治療で、4ヶ月後から杖を突きながら歩けるようになりました。

整形外科の看護師長さんから、

整形外科では「西洋医学では考えられない奇跡が東洋医学で起こる」ことを、

私に話された事が印象的に心に残っています。

あの時の光景も目に焼き付いています。

 

 

 

 

同時に…杖を突きながら仕事にも復帰しました

電車を3本乗り換えて、片道1時間半以上もかかる職場に行くのに

片道2時間半の時間が必要なくらいに歩けなくても. 復帰をしました。

激痛でカバンすら持てず、職務で外へ行く時は自腹でタクシーを使う私でした。

 

 

 

何よりも

家のローンと、二人の子供達が同時に大学生でしたので

その学費は大変なものでしたから共働きをしないとお金がなくてね

でもね、どんなに辛くても.  嫌だとは思わなったんです

 

 

 

家族がいるから…

妻として

母親として

だから、頑張れたんだと思います。

 

 

 

家族のために役に立っているのが、生きる意味になっていたのでしょうね。

仕事でも、担当地域の「独居」の高齢者の「SOS」を察知をする仕事でしたから

「必要とされている」のを感じるのは嬉しいことでした。

 

 

 

 

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ブログをまた書きたくなったのは、

私自身が「親がいとこ婚」の子供であるために

日本では研究すらされていない難病だったことと

今までの私の数々の病気が、重症になってしまった理由がやっと判ったので

この気持ちを吐き出したくて書いていました。

 

 

 

 

ただ…根本的には「夫と死別」の悲しみがあるので、

今まさに闘病中で頑張っていらっしゃる方々には…申し訳がないという

私の気持ちが湧いてきました。

 

 

 

 

ずっと体調が悪かった昨年一年間でした。

なので花壇の花の写真も、愛猫の写真も撮る気持ちにならずにいました。

 

 

 

 

でもね、

また写真を撮ろうという気持ちになれました。

 

 

花壇に、種から育てている苗が大きくなっていくのを待つのは嬉しいものですね。

今年、初めて「春を待つ気持ち」になっています。

種から育てている「ネモフィラ」や「わすれな草」が…どういう風に花壇で咲いてくれるかが楽しみになれています。

 

私の生きる意味にもなったのかな?

 

 

 

 

主人が亡くなり…16年経って

初めて「春を待つ気持ち」になっています

 

 

 

 

今までの歳月は、

桜が咲く「春」が苦しくて、フラッシュバックをおこしては、自然に涙が流れてしまい…主人の「来年の桜は見られるかなぁ?」と、一緒に並んで散歩していた時の「主人の声」が鮮明に浮かんできては辛くなる春になり、桜さえ見るのが苦しくなり、

春には必ずという程に心身を壊してしまう私になりました。

 

 

 

 

昨年、

先天性の治療方法がない難病だと知り得てからは、ますます「もうどうでもいいや」と思ってしまい、自暴自棄にもなりました。

 

 

 

それでも今まで生かされてきたのを感じたんです。

 

 

そして、介護サービスで訪問をしてくれる理学療法士さんや、

私の体調を気にして電話をかけてきてくれたり、直ぐに家まで来てくれる地域包括支援センターのケアマネジャーさんや、

お彼岸の度に、主人におはぎを手作りしてくださる小学生のママさん達が、今の私を支えてくれているのを感じて感謝しています。

 

 

 

 

体調が悪くても

あの時の主人の頑張りを思うと、踏ん張れる私にもなりました。

あれだけ…主人の元へ逝こうと考える自分に恐怖だった私でしたが

そう思えるようになるまでには、時間がかかりました。

 

 

 

私には長い歳月がかかりましたが

まだまだ、右往左往しながら・模索しながら・葛藤しながら・時には落ち込んでしまい……浮いてくるのを待つ私になるのでしょうが

そういうのを繰り返しながら「一人暮らし」を今は、頑張りたい気持ちです

 

 

 

もちろん淋しくないとは、言えません。

淋しいんです。とっても。

でも…ブログで繋がった支え合える人達がいるのが、私の今の救いです。

 

 

 

「同士」ですから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

いつもクリックに感謝しております。

心からありがとうございます。

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今、私は67歳にて「要支援 1」です。

年前に、介護認定の申請手続きを自ら一人でして

全部を自分一人でして「今までそういう人はいなかった」と驚かれましたが

だからこそ今があると感謝しています。

 

 

 

65歳の時に

アナフィラキシーショック状態で、家の中で死にかけました

2度も。。。

 

 

 

直ぐに申請して、自宅に「緊急通報システム」「区」から設置してもらいました。

私が住んでいる処は「セコム」が担当しています。

助けてもらいながら暮らしています。

65歳から申請できますから。

医師からの意見書が重要でしたし

「独居」の高齢者、または「難病」「重い病気」の人への支援です

 

 

 

利用料金は、1ヶ月「200円」

 

 

 

今日は、また違うサービス支援を申し込みました。

自宅まで来てくださり、自宅で私が用紙に書き込むのを手伝って下さり

いろいろと面倒をみてくれるそうです。

「区」のサービスです。

私もそういう年齢になったのかと思いましたが、最近…大きな転倒が多くてね。

ふらつきが多くなり、大きく転倒してしまい痛くてね。

 

 

その話はまたにしますね。