葉っぱのフレディ | 〜ぷらすなちゅらる〜

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何かを失うと言う事で、得ていくものもあるということを私は知ってる。。はずだったのですが、いまちょっと心が折れてます。

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ぷらすなちゅらる。

読み終えると、ギュッと


” ありがとう ” って、


静かに抱きしめました。




いつもこんな気分になるのです。


たぶん、そうゆう時に読む本と


自分がで決めているのでしょうが・・・






ー作者からのメッセージー


この絵本を


死別の悲しみに直面した子どもたちと


死について適切な説明ができない大人たち


死と無縁のように青春を謳歌しているわか者たち


そして編集者バーバラ・スラックスへ贈ります。






と、書いてあります。







人はなぜ、人を疑うのだろう?


人はなぜ、迷うのだろう?


人はなぜ、わざわざ辛いこと、悲しいことに


囚われていつまでもネガティブ感情を


引きずってしまうのだろう。




人それぞれ 誰にも敵わないような


何かがあるのに、誰かはその人を


とても大事と思っているのに


そこではなく、噛み合わない相手のことばかり


気にして、目や感情で追ってしまうのだろう?










それは、やはり、自分にとって必要だと思って


執着しているからだということ。




大嫌いは大好きと一緒って、誰かが言った。


そのときは、大嫌いは大嫌い以外にないよって


そう反発感情が生まれたけど・・・。



でも、今はそうは思わない。





大嫌いは、大好きに変わりやすく


大好きは、大嫌いに変わりやすいという


そんな大原則が感情の世界では確かにある。





そして、大嫌いが大好きになったとき


それは、一生に付き合いになることが多いのです。




関心がある証拠だから、嫌いって思うこともある。









この本は、何年も前に通っていた


メンタルの教室の衛藤先生 が教えてくれました。


私に特別に教えてくれたわけではなくて


そこにいるみんなに紹介してくれてたので


みんなそれぞれ響くものを見つけてくれていると思う。






この絵本を読むと、安らぐのです。


季節がめぐっているのは百も承知です。


人が支え合うのも百も承知です。


でも、時々誤解が生じておかしな感じになって


不安になったり、辛くなったりするのも百も承知です。





そして、人とは少し違う体験をした私は


いのちと言うものがどのようなものなのか


そのころは知りたくてたまりませんでした。




大切な人が突然いなくなった私は・・・


同じような、宙ぶらりんの、糸の切れたタコのような


私たち家族は、何をどう納得していいのかわかりませんでした。





そして、どうしてこんなことになってしまったのか


知りたいと考えていました。


納得できる材料が欲しかったのです。


なにか、意味の無いはずがないと想いたかった。





だから、私は、近くの図書館で、


死についての書物を右から左に読みあさり


それから、自分の心や家族の心がどうなのか


心理学系の本も、読みあさり、


それでも納得することができず、


だって、洋君は何も悪くないのにって、


そればっかり考えていました。





でも、子どもたちには、


人を恨むことがイイことではない


特定されないほうがいいと


そう考えて、身勝手にも裁判に同行したい、


犯人がどうゆうやつなのか知りたい。と、言う


彼らを、ダメだ、連れていけないと静止し、


学校に行くように言いました。



代わりに私が、そのぶん裁判では頑張るから


大丈夫だからと、言い聞かせました。








それには色んな理由はあったけれど、


まだ幼い彼らが、犯人の顔をみて


憎しみとか、悲しみの感情にいつまでも囚われるより、


普段通りの生活を、早く取り戻すほうが


どれだけも幸せなことかと考えたからです。





当たり前の話ですが、生きてる人の方を


見ていなくてはいけないから


それをきちんと選べる事が大事だと、


私は大人として、親としてそうしました。





洋君の御供養はそれは大事なセレモニーでした。





今でも毎朝線香を上げて、


護ってくれてありがとう。と、心で唱えています。







この出来事で、色んなことが変わりました。




でも、当たり前に朝が来て


彼らはきちんと大きくなって、


何不自由なく、大きな問題も無く


私たち家族は暮らしています。







様々な出来事、想いが


これからもくり返されることでしょう。





あの日、どうしても信じられなかった


信じたくなかった出来事も5年がたち


世の中の動きも変わってきて


それを踏まえて、彼の死というものが


いったいどういうことだったのか?と、


改めて考える時期に来ています。







人はいつか生命の終が来ます。


人だけではなく、生き物全てに終は来ます。





いつかは消えて無くなってしまう自分だけど


でも、DNAであったり、


考え方、想いはずっと消えない。





それを教えてくてた、先人たちの姿。


そして、ひとりひとりの人生が繰り返されている中で


時に終が来て、始まりもあるということ



いろんな人生があると思います。





どんな人も、その人の人生では


誰もが主人公であるのだから


主人公らしく生きていきたいって


今日はそう思いました。






近いうちに、講演の記帳資料もってメンタルにも顔だそう。


そして、大事な人の死を受け入れなければいけない


そんなあなたに、この本を届けたいと私は思ったのです。







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