日本メンタルヘルス協会:衛藤信之のつぶやき

心理カウンセラー衛藤信之があなたに届けるメッセージ。



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 アクティブ(能動的)に生きるか、パッシブ(受動的)で生きるかで、人生に生きるうえで、ストレス度合いは変わってくると思います。

 ある人は、ある後輩OLにイライラすると言う。こちらは残業して頑張っているのに、後輩OLは我、関せずというように定時でサッサと帰ると言う。
 その態度にあきれてしまい、気に入らないらしい…

 僕は「君も定時で帰ったらいいのに」と言うと「それは出来ない。そんなことをすると仕事がどんどん溜まっていく」と首をふった。
 「じゃぁ、君が定時で帰ることを選ばないで、残って仕事をすることを選んだ!」と言うと「違います!それは、しょうがないから、私がやるしかないから」と不服そうに反論した。
 人は定時で帰るのも、残って仕事を終わらせたいと思うのも、選ぶことは誰でも自由なのです。

 もちろん、立場的にそんな勝手なことは出来ないと人は思うかもしれません。そんなことをしたら「責任がはたせない!」と言いたくもなるかもしれません。でも、誰かから無責任とレッテルを貼られたとしても、定時に帰ったからと言って法律上で裁かれるわけではない。でも、そんな無責任な自分にはなりたくないから、残って仕事をすることを彼女が選択しているのです。

 アリの研究者によると、働きアリの巣を調べてみると、働きアリと呼ばれていても、巣の中にいるすべてのアリが働いているわけではないのです。2割がモーレツに働き、6割のアリが普通に働き、2割が何もしないアリなのです。そこで、アリ研究家が、五ヶ所の働きアリの巣からよく働くアリを選び出し、最強のアリ集団を作ろうとしたところ、実際にはすべてのアリが働くわけではなく、観察していると、やはり2割が思いっきり働いて、やはり6割が普通に働き、2割がサボりだしたのです。では、それぞれの巣から、ちょ~なまけ者のアリを集めてサボりのアリ集団を構成したら、全員のアリがサボって、あげくに飢え死にするのかと言えば、そうではなく、2割がモーレツに働きだし、6割が普通で、2割は以前と同じくサボって何もしなかったそうです。

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 実は、これは人間社会にも言えます。モーレツに働く人がいて、ほとんどは普通の人びとで、やはりサッサと時間がくれば、何も感じないで帰る人がいます。問題は、自分がどの集団に所属したいかなのです。

 僕も仕事を放り出し、家族を捨て、インディアンの地で一生、風の吹くまま、気の向くままに、自由な生活をすることも可能なのです。または、部下だけを働かせ、自分だけは、自由に気ままなエンジョイ・ライフを選ぶことも可能なのかもしれません。でも、それを選択し、ノホホンと生きていくことをカッコイイとは思えないし、そんな自分が決して好きにはなれないのです。

 自分のデザインは、自分自身がしていくものだと僕は考えています。親や周囲の影響ではないし、まして大人になれば選択は自由なのです。だから、誰かに仕事を押し付けてサボる側を、自分はカッコいいとは感じないし、そんな自分の生きかたを美しいとは、僕には思えないのです。だから、僕はハードワーカーな日常を、笑顔で走っていたいのです。

 アメリカで車を傷つけられたことがあります。ユーズドカーではあっても、気に入って購入した大切に乗っている車でした。その時に僕が「ヒドイ!」と落ち込んでいたら、カウンセラーだった先輩が「ノブ、こうやって人の車を傷つけて楽しんでいる人間の気持ちが解るか?」僕は即座に「解らないです。何でこんなことをするんだろう?」先輩の彼は即座に「俺にも解らない」と応えた。

 そして、次に彼はこう続けた「ノブ、ヨカッたな。俺たちは人の車を傷つけることが、楽しいと思えない側で生まれたんだ! この車を傷つけた人に、何があったのか?どんな幼少期や人生を生きて来たのか…俺たちは傷つけられた側だ、誰かの持ち物や車を、傷つけないと人生は楽しめない側でなくてヨカッたなぁ、俺たちは。『そんなくだらない楽しみが解らない⁈ 』と首をかしげる側で生まれ育ったのだから…感謝しよう。なぁ、ノブこの哀れな者のために祈ろうではないか!」と、彼はクリスチャンだった。初めてキリストの精神の奥深さを垣間見た気がした。

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 人生は、自分で自分をデザインできるのです。人を裏切る生き方をするか、人の不幸を喜ぶ側でいるかは、その人の選択なのです。
 ラクして生きる側でいるか、自分をストイックに追い込んで「満足した人生だったなぁ」と人生を笑って終わるか。

 それは、人それぞれの美学なのです。

 ですから、冒頭の女性は「自分が責任を持って働くほう」を自分で選択していると思ったほうがずーっとカッコイイ。いつでも、定時に帰ることも彼女には選択できるのです。でも、そんな自分は素敵と思えないなら、笑顔で職場に残って、ひょうひょうと仕事をこなしていることが美学だと、僕には思えるのです。

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 誰かの、だらし無い行動を見て、眉間にシワを寄せ、イライラ苛立ちながら、仕事をする時間がカッコイイと思うのか、それとも「人は人、自分は自分。私がステキだと感じて選んだ道を行く」と、軽やかに笑っている彼女の方が、ずーっとカッコイイと思えます。それが、生き方の美学です。

 アリの原理ではないですが、サボる人がいるから、自分がガンバろうと思えるし、その結果、自分は人間的にも鍛えられ成長もするのです。

 ただ、間違っていけないのは、早く会社を帰ることも悪くはないのです。その時々に自分のベストを選べばいいのです。
 サボってはいけないと思えば自分自身も追い込まれるし、早く帰る人を許せなくなり誰かを裁き攻撃したくなります。ガンバリを持続させるためには息も抜かないと…

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 カッコ良さは自分で決めればいいのです。自分を好きになるためにも…

 ある時期から、僕は自分自身をデザインすることの美学を意識し始めて、損とか得とか、そんな小さいことを考えなくなっていきました。

 そんな軽やかに生きられる自分を好きになっていったように思えるのです。

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