日本メンタルヘルス協会:衛藤信之のつぶやき

心理カウンセラー衛藤信之があなたに届けるメッセージ。



テーマ:
 ハロウィーンの季節になりました。

 日本でも変装しながら、街を歩いている姿が見うけられます。

 変装は、いつもと違う自分になれるので、固まった自分の仮面「枠」をハズすには良いチャンスになるようです。

 サッカーの応援で、フェイスにペインティングし、華やかな衣装をまとって、大きな声を出している人の中には、日々の生活では気の小さい商店のオジさんである場合があります。

 日本は世界に比べて、酔っぱらいには比較的に寛大な文化です。
 「酔った席での事だから…」と受け入れてもらうことが多いようです。そんな寛容な社会に味をしめ、人の迷惑も省みないで、お酒を飲むことでしか、自分を解放できなくなっている人がいます。やがて、酒乱からアルコール依存に進むと「酔った席でのこと」では済まされなくなります。

 もちろん、心を解放する非日常は楽しいのです。

 僕たちは日頃、仮面(ペルソナ)をかぶって生きています。

 上司の仮面、先生の仮面、よい子の仮面、警察官の仮面など…

 なぜなら、いつも周囲から期待される仮面つけて演じている人は、責任感のある素晴らしい人と評価されるからです。

 でも、それが強くなり過ぎてムリをすると「ムリしている自分の心」が、反乱を起こすこともあります。

 そして、体が反応して、パニック障害、不眠と言った心身症になったり、自分の役割の限界を超えてしまって、何もかも放り出し突然に蒸発したり、今までのイメージを崩壊するくらいのキレかたをしたりと、社会的に不適応な事件を起こしかねません。

 だから、人は非日常の「祭りタイム」が必要なのです。

 自分の社会的な役割をハズし「役割の枠」(~かくあるべき)から離れて、ストレスを解放する瞬間が必要になります。

 ですから、世界中にお祭りがあります!

 役割の枠(ペルソナ)内で、生きる日常を卦(ケ)の日といいます。そして、役割をハズれて自由で囚われない非日常を、晴れの日といいます。なので、特別に自分を解放する瞬間の時を「晴れ舞台」と呼び、その特別な日に着る着物を「晴れ着」と呼びます。

 そして、その自由な祭りの時間を過ごし、僕たちは社会の期待に応える日常(卦の日)に戻り、生活を新たに始動するのです。

 そう、遊んだあとには、期待に応える自分をしっかりと演じるのです。それが大人のバランス能力です。

 「ありのままの私になるの~」この夏に流行った「アナと雪の女王」の主題歌です。

 エルサ王女は、雪の女王であるパワーを抑え、部屋に閉じこもって生きていました。それは、必要以上に抑え込んだ「枠」をつけて生活していたので、彼女は苦しかったのです。その彼女が、お城から飛び出し、自由を手に入れたから、あの「アナ雪の歌」は開放の歌になります。

 でも、個人が自由に生きると、誰かの不自由になりかねません。だから、映画では、町は雪と氷でおおわれてしまいました。

 人は自分の「ありのまま」だけを追求すると、誰かを困らせます。

 〈それは『ありのまま』ではなく『わがまま』です〉

 論語に「心の欲する所に従いて、矩(のり)を踰(こえ)ず」という言葉があります。

 心のワクワクすることだけに生きると、普通は「身勝手だ!」とか「わがまま」だと、周囲から批判されますが、テニス大好きな少年がウインブルドンで活躍し、多くの人に夢を与えると、その自由は誰かの幸せにつながります。だから、それは心の欲する所に従いて、矩(のり)を踰(こ)えずです。でも、テニスが好きだから「テニスだけをする!」と、仕事や家庭も放り出して、家庭の生活を不幸にしてテニスに没頭すれば、それは、矩(のり)を踰(こ)えています。それは「わがまま」です。

 人の話を聴かないで、「チョッと聴いて!」とばかり、自分の言いたいことだけを、しゃべり続ける人がいます。多くの人に話すチャンスを与えないで、自分の言いたいことをまくし立て、誰かの迷惑になったり、周囲が話す機会を失わせていたら、それは「わがままな、おしゃべり!」です。逆に、語りたいことを語っていても、誰からも、その話「もっと聴きたい!」と思ってもらえるなら、それは素晴らしい語り部(ストーリーテラー)の登場です。

 ですから、自分の好きなことをする。それが誰かに喜んでもらえるなら、それは立派な「仕事」になります。

 「アナと雪の女王」のエルサ王女は、自由を謳歌し、ワガママを乗り越え、やがて彼女はバランスを回復してゆきます。そう、女王として「国民の幸せを守るために能力を使う」というバランスのよい新しい「枠」を持って生きるようになります。

 自分の「ありのまま」で、なおかつ、町の人が喜んで生きられるようになる。だから、あの物語はハッピーエンドになるのです。

 ですから、人生は「ありのまま」に生きて行くのは良いのです。でも、それが人の迷惑になる「わがまま」にならないかを考えないとなりません。そして「ありのままに生きる!」と言って、自分の役割の努力も、我慢もしないで、自分の役割(上司・先生・夫・部下・生徒etc.)を無視して自由に生きるのは幼児性です。心理的に子どもなのです。

 怒りたいから怒った、休みたいから休んだ、傷つけられたから傷つけた! それは、子どもなのです。

 苦しんだ後の解放は、人の成長につながりますが、努力も我慢もなく、何もかも投げ出して「ありのままの私になるの~」はアホです。「オマエは、ありのままではいけない!」とツッコミたくなります。

 今週、ハロウィーンの仮装は大いに結構、でも、人の迷惑になるような意味のない奇声や傍若無人な振る舞いは、それは誰かの迷惑になるかもしれません。そんな酒の席でのバランスを考えて、社会的に容認可能範囲の晴れ時間を大人は持ちたいものですね。

 と、子どものような僕が語りました。へへへへ…(笑)










いいね!した人