日本メンタルヘルス協会:衛藤信之のつぶやき

心理カウンセラー衛藤信之があなたに届けるメッセージ。



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 4月10日(日)東京校の修了式が無事に終わりました。4月14日(木)に熊本地震が起きたため、震災に関しての投稿が先になり、修了式の投稿が遅れてしまいました。ごめんなさい。

 今回の修了式もメンタルに来た人に何人かにインタビューしてメンタルに来た理由や、気づいたことを聴かせていただきました。


 ある主婦の方は、下の子が生まれて長男の子どもがえり、2歳の長男のイヤイヤ期が重なり、次男の授乳と、夜は長男が寂しがってお母さんを求めて来る。トイレに行きたいけど行けない、お腹が空いているのに食べられない。求めて授かった子どもだったのに次男が生まれて、2倍の大変さかと覚悟していたのが私にとっては10倍の大変さになっていました。二人の子どもが育つ中で兄弟ケンカが増え、怒鳴っている自分。ご主人は、すぐに予定を入れられるのに、自分は子どものために予定も入れられない。外出もままならない。そんな中、育児についてご主人に口出しされると「何もやってもいないのに口出さないでほしい」と思い、『ありがとう』と言われても素直に受け取れなくなっていたそうですそんな中、仕事関係での知り合いの方のブログでメンタルを知って来られたそうです。今では講座参加に協力してくれたご主人に感謝されていると言われていました。


 何に気づかれましたかという質問に、講座で僕が言った「悩み=人生の宿題だ」と思っているという言葉で、私は逃げている場合じゃない、私は育児を通じて自分を見つめる人生の宿題なんだと思えるようになりました。また、子どもは母子一体感、大人は『親しき中にも離別感』という言葉。主人に対して私が、『○○して当然、私の大変さを分かっているはず』と母子一体感を持っていたからうまくかみ合っていなかったんだと知りました。


 その後の講義でも、脳の構造を知ることで衝撃がいっぱいでした。育児も家事も完ぺきにこなそうとするからこそストレスが溜まっていること。私が私自身を認めていないから他人からの認証を求めていたということも。
 だから、私は、私を認めよう。セルフラブ、とても好きな言葉になりました。また、子どもの躾と思いながらも、感情的に怒ることが多かった私・・・、5歳と3歳の子どもに今まで悪い事をしてきてしまったと思い、反省の涙が止まりませんでした。けれど、日常に戻ると『また感情的に怒っている・・・よね、イライラしているよね・・・、私』自問自答する日々でした。前編第3講座で日々たまっている不満をノートに全部書き出し、どのような行動になれば私が満足なのかを書き出し、スッキリしていた私に丸山先生が言った言葉、『あなたはそれを出来ていますか?問題を持っているのは誰ですか?』その言葉に本当にハッとしました。


 変わるべき相手は、主人でも子どもでもない、私なのだと。ただ、私の気持ちを押し付けているだけでした。怒ったりイライラする感情を作っているのも私だし、主人・長男・次男に期待をしているから怒りが出る、その期待している部分を相手に素直に伝えればいいんだと。


 それをアイメッセージで。なんて難しいんだーーーーーー!と最初思いました。
 なので、感謝のIメッセージから始めようと、この日からとても意識しました。子どもが何かした時にすかさず『○○が○○してくれてママはうれしいなー、ありがとう』すると、子どもは得意そうに満面の笑み、こんなに喜ぶんだーと嬉しかったです。たった一言なのに。


 ある日、次男が『ママはね、くつを揃えたら喜ぶんだよねー』と誰かに話してをしていたのを聞いて、ビックリしたのを覚えています。また、怒ったときは『あ、ママ怒ってごめん』と一度謝り、何を私は伝えたいんだろう?⇒『ママは○○思ったんだよね』と時間がかかりながらも自分の気持ちを素直に伝えるようになりました。余裕がない(だいたい寝不足か時間のない時)時は激怒で終わる時もありますが、必ず後で謝ることにしました。

 今思うと、講座の初期は、変わりたい自分と無意識の中の今までの私が葛藤して苦しい時期でしたが、少しずつ怒る・イライラするという感情より、自分の気持ちを感じて、丁寧に伝えるという気持ちに変わっていきました。そのお陰で、兄弟で喧嘩する時もお互いの気持ちを言いあい、解決している事も増えてきました。私自身が変わることで、子育てが変わっていくのですね。きっと目に見えない所でも現れているのだと思います。


 色々なカウンセリングの方法で印象的だったのが、ゲシュタルト療法でした。子どもの可愛いところ・優しいところ・元気なところ・主人の優しい所、沢山いいところがあるのに、どうして大変な所にわざわざ私は焦点を当てているのだろう。幸せは、自分でみつけるもの。


 育児の大変な部分ではなく、楽しい部分を見つめて楽しもう!子どもの5歳と3歳の今日という日はもう来ないのだから。一緒に、かまきりごっこしたり、猫ごっこしたり、子どもの発想の豊かさに自然と笑顔になる日々が増えました。子どもと一緒に四季を感じる場所にも意識的に行きました。

 突然虫好きの長男と次男が公園の木にぶら下がって『ミーン、ミーン』と鳴き真似をしたので、え?冬に?とは思いましたが『あ、せみだーーー』と私が叫び両手で○を作り網にみたてて、2人を本気で追いかけて公園中を走り回っていました。
 すると、小学校1・2年生ぐらいの子どもが『いいなあ、あんなにお母さんが構ってくれて』と小さい声で言っているのを聞いて、こういう時間が子どもには大切なんだと、ハッとさせられた瞬間でした。


 家事をしなきゃいけない、けれど、そっと手を止めて、一緒に遊びを楽しむ。また、子どもと一緒にいて大切にするようになったことがあります。それは、私自身が発言する言葉の重みの大切さ、マイナス言葉ではなくプラスの言葉を意識するようになりました。

 例えば、子どもがピアノの練習をしていて間違えてしまう時、以前だと『違うよ~こうでしょー』と言っていたところ、『○○なら出来るよ、出来てるよ、頑張ってるね』と言うと、本当に弾けるようになり一緒に喜びました。そして、何度も自分から練習している姿には感動しました。また、『疲れたー』という言葉が多かった私は、『頑張ったー』という言葉に意識的に変えてみました。すると、突然長男が『ママもあなた達も、今日1日頑張ったね!楽しかったよ!』と。プラスの言葉で、私自身が、私を認められるようにもなりました。人は言葉でできているんだな、そう感じた瞬間でした。


 最後の受講が『本当の自分に出会える音楽力』でしたが、この講義ですべてが繋がりました。音楽診断テストのワークで自分がどうしよう?と思った瞬間、仲間が現れて出口に出られたのです!誰かに依存するタイプなんだなということに気づかせてくれた瞬間でした。


 確かに、今までの人生の中で、誰かに助けてもらいながらここまで歩んできたなと。子育で、私が苦しかったのは自分でどうにかしたいと思いながらも、根底には主人が助けてくれるはずと思っていた自分がいたことに。しかし、主人は助けてくれない。
 私が、現実を受け止めて自分自身を改善しようと動いた分しか世界は変わらない。子どもや主人を責めても何も改善されない。子育てという思い通りにならない今を楽しむ。私には私の人生、人とは比べないで過去の自分と比べよう!!講義を受講して、度々私がヒットする共通の部分はこれでした。この半年の経験で、どんな子育て本より、お話より、私の心にしみわたりました。と笑って話してくれました。




 次にお話を聞いた男性は、知り合いの人と食事中に『僕は最近、心屋さんの本が気に入って読んでるんですよ』『あら、私は心屋さんが心理学を勉強したところで心理学を学んだんですよ。』『とにかく凄くて楽しく心理学を学べますよ』『あっそう。あとでネットで調べてみる』との会話がキッカケでメンタルに来ました。


 ユーチューブで『衛藤信之』で検索すると約15分の講演の動画を発見。インディアンカウンセラーの異名を持ち、死んだら墓標に何て書かれたいですか?受け止め方で気分は変わる(ABC理論)。小児がんのしゅんしゅんの話。皆さんは彼がどうしてもなりたかった大人という夢の中で過ごしてることに気がついてください。我々はパワーストーリーの力を信じています。あなたも誰かのパワーストーリーになりませんか?という内容で、3度も涙しました。すかさず動画を3回繰り返し見て、内容は分かっているのに又も、泣いていました。


 すぐさま体験講座のスケジュールを調べ、早速一番速い日にちで予約。予想していた以上に笑いがあり、別名吉本流心理学と呼ばれているという噂通りの講座でした。

 この日のワークで、初対面の方と向かい合って、この人は普段どういう人なのかを感じたまま伝えるというワークがありました。私自身が、他人からはどういう風に見られているのかを気づかせてくれるワークでした。お互いの見え方を話した後に実際の私はこういう人ですという時に、相手の方が最初に結構内面的なことまで話してくれました。私も普段は自分のことを自分から積極的に話すタイプではなかったのですが、つられていつもより多くの事を話していた事を思い出します。この事は『自己開示』だったのですね。


 体験講座で印象に残ったのは、衛藤先生が『帰りの電車では笑顔で乗ってみてください。子ども達が笑顔の大人が乗ってきた!』とびっくりするくらいに。まずは大人が人生を楽しみましょう。とその後、私も笑顔の実験をしてみました。朝の通勤電車の中で、周りを見ても不機嫌そうな人、下を向いている人が多いのです。自分は抵抗もありましたが、誰かを笑顔にしようとするより、笑顔でいると、自分自身が楽しい気分、気持ちに余裕のある自分が感じられて、思い出すと今でも実験しています。パートナーにも勧めながら。


 この講座での衛藤先生の『日本は経済大国になるのはもういい。それより、こころ大国日本を目指しましょう』という言葉に共感しました。そして、早速基礎コースに通うことにしました。


 基礎コースでの最初の講座は『聴くこと』でした。この講座で結構落ち込みました。自分は聴けていなかったと、早く救ってあげたくて、相手の意見を全て聴く前に、答え(自分なりの解決策)を用意してやろうとばかり考えていました。


 『悩みは、自分を見つめ、人生を振り返るための絶好のチャンスなのです。だから聞き手は解決してはいけない。聞き手が、相手を映し出す鏡になることで、相手は自分を見つめるのです。』『正そうとするな。わかろうとせよ』いいことを習いました。


 心身症の仕組みの講座で同じテーブルになったリピーターの方からは素敵な言葉を教えてもらいました。その方は以前パニック症候群になり、電車に乗れなかったそうです。今は回復して《あいうえお》の法則で人生を楽しんでいるとのことでした。
  《あ》 会いたい人に会う
  《い》 行きたいところに行く
 《う》 嬉しいことをする
 《え》 選びたいものを選ぶ
 《お》 美味しいものを食べる
 メンタルは素敵な生徒さんとも出会える場所だと実感しました。


 自分で自分を認め愛してあげる。セルフラブの考え方も大収穫でした。今の時代、否定が多く、自分で自分を認めてあげることがいかに大切かと感じます。


 相手を変えてやろうとするのではなく、自分の気持ちを正直に伝えるアイメッセージの講座も心に沁みました。ワークで同じテーブルになった方に私が話した内容は自分の母に伝えるアイメッセージでした。その時、母は血液のガンで入退院を繰り返し、抗ガン剤治療もしましたが、強い抗ガン剤治療は高齢(86歳)には負担が大きいため断念し、緩和ケアの病院に入院中でした。自宅では母の食事の準備や寝るための介護を一年近くしてきたところです。


 男三人兄弟の末っ子で育った私は、最後まで母と同居していました。伝えたかったメッセージはこうです。

『産んでくれてありがとう』『丈夫な体に育ててくれてありがとう』『叱ってくれてありがとう』『いっぱい言葉を教えてくれてありがとう』『小言を言ってくれてありがとう』でした。


 メンタルのテキストに書き、ワークの中で自己開示しながら、涙ぐんでいました。同じテーブルの方からは、その言葉は絶対お母さんに伝えてあげてくださいね。喜ばれると思いますよと言ってもらえました。

その後に衛藤先生が僕の側を通り、伝えたいアイメッセージは、キチンと練習しておかないと、いざという時に噛んじゃいますから。泣くとスッキリするでしょとも言ってもらいました。


 その日、帰宅後、病院から電話があり、母の容態が思わしくない。万が一の為に、家族には来て欲しいとの連絡でした。急いで病院に行くと、三人兄弟では私が一番自宅から近いので最初に到着しました。父はすでに亡くなっています。三人部屋から個室に移動されていたのでもう長くないことは悟りました。


 病院のベッドで母の顔を見ましたが、既に意識はない状態で、右目が半分ほど開いていましたが、左目は閉じたままでした。テキストにも書き、何度か言葉にした母へのアイメッセージを伝える時だと感じ、母の耳元で伝えました。聞こえなかったらいけないので、声を大きくして3回伝えました。


 すると、閉じていた母の左目が半分開いてくれました。そして母からは、『くに(私の名前です)、聞こえたよ。ありがとう。最期に看病で迷惑かけちゃったけど、立派な大人になってくれて誇らしいよ。私の息子として産まれてきてくれてありがとう』と言ってくれているように聞こえました。それから約3時間後に母は息を引き取りました。亡くなる二日前までは自分で食事が食べられて、比較的苦しまずに最後を迎えられたのだと思います。しかし、まさかこのタイミングでアイメッセージの講座を受け、母へ伝える内容を用意できるとは、何かの力を感じざるをえません。母へのアイメッセージを伝えられて、自分自身でなんというか達成感が感じられるようになりました。


 人は何歳からでも変われる。講師のキノピーの生き方や、教え子を救えなかったことを開示し今は活躍されている香葉村先生の話を聞くと、人は本当に変われるんだと理解出来ます。


 《講座で心に残った言葉》『愛を学ぶということは、今まで愛していなかったことを知る作業である』人は自分の思い通りになる恋人を求めます。でも人は誰かの思い通りにはならない生き物です。離別感が大切なんです。『その人が、そう生きねばならなかった人生を愛していますか?』この言葉は衝撃でした。


 講座を受けて、今までは何かイヤなことが起こると、『最悪なんです』と大騒ぎしていましたが、焦点を欠けているところばかりではなく、既に得ていることにフォーカスしなおせば、自分は相当恵まれていることに気がつくという思考回路になりました。

 私も少しでもいい、誰かに優しくできて、誰かのパワースポットになりたい。こう思えるようになったのがメンタルで学んだ財産です。とたくさん感動的な話を語ってくれました。



 次の方は女性です。私がメンタルヘルス協会に通い始めたきっかけは、その当時勤めていた職場の上司の紹介でした。上司が心理学の学校に通っていることは知っていて、時折話を聞いては「面白そうだな」という印象は受けていましたし、何度か「行ってみないか」と誘われましたが、実際に「行ってみよう!」という気持ちにはなりませんでした。ところが何回目かの上司の「行ってみない?」に即答で「行きます。」と言っていました。


 最初は体験だけのつもりでした。でも、その「つもり」は体験受講中に崩れました。その場で前期コースに申し込み、その時は前期だけで終わりにするつもりだったのが、前期4講座目で後期コースに申し込み、今に至ります。

 

 上司がなぜ何度もメンタルに誘ってくれたのか。それは、私の家庭状況を考えてのことです。今は離婚していますが、その時はまだ結婚生活を続けていました。私の元夫はうつ病という診断でした。結婚当初は元気で、夜中までバリバリ働いても土日は趣味に出かけるような人でしたが、東日本大震災がキッカケで躁鬱病になってしまいました。元夫は原子力の仕事をしており、福島原発事故の直後に現地で作業員として派遣されたことに加え、数か月後からは汚染水の対応をするため技術者として福島に派遣されました。元夫は次世代型原子力の開発者で、現在の原発の問題点を改善した次世代の原発を研究する仕事をしていました。


 福島原発事故が起こったことで、今まで自分が良いと信じて行ってきたことが崩れ、世間からの原発批判を自分が批判されているかのように感じてしまったのです。事故対応に追われている時は必死に仕事をこなしていましたが、一段落したあとから少しずつ体調を崩していったのです。

 当時の私は、その変化に気づきませんでした。休日に出かけなくても「忙しいし疲れているのかな。原発の未来が失われそうでショックを受けているんだろうな。」と考えてはいたものの、まさか精神を病んでいたとは思いませんでした。ある時、元夫から「精神科に行こうと思う」と言われたときはショックでした。精神科に行き、抗うつ薬と抗不安薬を処方されました。そこからさらに元夫の体調は悪くなりました。


 元夫は服薬を開始して少ししてから会社に行けなくなり、休職を余儀なくされました。その後、自殺願望に留まらず自殺未遂を繰り返しました。首をつりました。手首を切りました。睡眠薬を大量に飲み、意識朦朧として「死ぬ」と言いながらベランダに出ていきました。思うようにならない苛立ちから物を壊したり、大声を上げました。私は何度も止めました。泣いて止め、怒って止め、元夫が意識朦朧の時は自分より30キロも重い体重の元夫を必死に部屋にひきずりました。家にあるロープは切りました。遠出できないように車のキーは常に私が持っていました。私自身も、もうどうでもいい気持ちになり「一緒に死んであげるから殺していいよ」と言ったこともあります。自分で死ぬ勇気はありませんでしたが、誰かに手をかけてもらえるなら死んでもいいと思っていました。


 毎晩、布団の中で一人で泣きました。息子にも元夫にも涙は見せられないと思い、息子が寝静まってから泣きました。当時3歳の息子も元夫の荒れた状況を目撃したことがあります。一騒動収まった時に息子が台所の隅っこで丸くなって座っていたこと、大声を出すパパにびっくりして心配し「○○ちゃんは悪くないよ。大丈夫だよ。パパは病気だから仕方がないんだ。」と布団の中で話したこと、忘れられません。


 手におえず元夫は3回入院しました。

 入院中は金銭面は心配でしたが、夫が家にいないことでほっとしました。入院していない間は、家に帰ることが恐怖でした。「死んでいるかもしれない」と思い、仕事が終わる30分前になると動悸が起こり、手が震え、吐き気がしました。帰宅して生きていても、暴飲暴食した残骸と寝ているかゲームをしている元夫を見ると悲しい気持ちと怒りの気持ちが沸いてきました。 「いつまで休職が続くのだろうか。収入はどうなるのか。」という金銭的な不安もどんどん大きくなりました。


 うつ病の治療が長期にわたることは理解しています。しかし、十分休息をとったはずなのに後ろばかりを見て、自殺未遂を繰り返す元夫を見ると、私に対する甘えなのではないかと感じるようになりました。「本当に死ぬ気でいるのなら、一人になる時間を選ぶはず。私は昼間は仕事で不在。チャンスはいくらでもあるはずだ。食べるものもないくらいお金に困ったら復職するための努力をするはずだ。プライドは高い。生活保護という手段は選ばない性格だ」と。 最初は義母が支えてくれ、耐えることができましたが、2回目の入院あたりから義母との関係が悪くなり、私は追い詰めれました。


 逃げ場を失った私は離婚を考えはじめましたが「離婚したことを理由に自殺されたら私は人殺しなのかもしれない。夫だって好きで病気になったわけではない。それを見捨てるのは冷たすぎる。」という恐怖からなかなか決心できませんでした。しかし、3回目の入院中に離婚を決心しました。私も限界でした。発病してから約2年半たった頃です。

 自分の中で理由を作りました。「これ以上息子にあの父親の姿を見せるのは精神発達上よくない。あの人は、私がいなければ自立するはずだ。これ以上一緒にいると共倒れしてしまう、そうしたら息子は誰が育てるのか。家族3人、それぞれのために離婚するべきだ」という理由で自分を納得させました。今思えば、自分を正当化したかったのだと思います。その時の私には精神的余裕がなかったのです。


 3回目の入院中、病室で離婚届を渡しました。なぜ入院中か。保護されているからです。仮に荒れても、精神病院は自殺する道具がありませんし病院スタッフが守ってくれます。自分を守るため、保険をかけたのです。卑怯な手段でした。

 義母にはさんざん責められました。元夫は荒れました。当たり前です。しかし、離婚の意志は変わらず引っ越しや転職の予定を進めました。元夫も離婚に応じました。これは意外でしたが、離婚をつきつけられ、ショックを受け荒れたあとに躁状態に入り、離婚協議を進めてくれたのだと思われました。


 メンタルの体験講座の受講を決めたのはそんな時でした。今まで何度言われても行く気にならなかったのになぜなのでしょう。夫の病気から逃げてしまった自分が、これからどう生きていけばいいのか、何かヒントがほしかったのかもしれません。

 元夫が病気になってからは金銭的不安と精神的余裕のなさのため、少し無駄遣いをしただけでも不安になっていました。事情を知らせていない友人と会うのも苦痛でした。それなのに、行ったこともない場所へ行こうという気持ちになったのです。


 体験講座を受講した日。エレベーターを降りたとたん、明るい光と明るい笑顔の方々にびっくりしました。しばらくテンション低めだった私には眩しかったです。でも、その笑顔が自分を受け入れてくれたように感じ、ほっとしたのと同時にわくわくしました。「楽しみ」という気持ちを持つのは久しぶりでした。その時出迎えてくださったのは丸山先生でした。あの時の丸山先生の笑顔ははっきりと覚えています。

 そして講座。たくさん笑い、たくさん泣きました。我慢せずに笑って泣いたのも久しぶりでした。体験だけ受講して終わりにするつもりが、その場で基礎前期コースを申込みました。


 基礎前編で一番印象的だったのは「人の話の聴き方スマートテクニック」です。それまでの私は聴き方失敗例ばかりでした。息子に対しても、元夫に対してもそうだったと思います。コミュニケーションの障害となる12の型のお話をされた時、先生が「こういう言い方を使ってしまうのは、使っても人間関係がこわれない、と思っている相手であり、子どもや部下に使ってしまいがち。」とおっしゃいました。ものすごく納得してしまったのと同時に、猛烈に反省しました。知らず知らずの間に使っていました。たまにどころか頻繁に使っていました。息子や元夫にかけていた言葉が、コミュニケーションを悪化させる原因になっていたとは・・・、もっと早く知っていたら・・・、と思いました。


 元夫の病気が悪化したのは私のせいかもしれない、私がもっと話を聴いていたら、もっと彼の甘えを受け入れられていたら、と思いました。

 しかし、その思いから救ってくれたのもメンタルの講座でした。「過去は変えられない。変えられるのは自分と未来。」「できなかったことよりできたことに目を向けよう」「今がメンタルに来る時だったのだ。」と。


 一緒に講座を受けた受講生の皆さんにも救われました。前編受講中は離婚直後であったため、ディスカッションで話す内容は離婚や元夫の病気のことが主でした。昔からの友人にですら話すことを躊躇した元夫の病気のこと。なぜかメンタルでは躊躇せず話せました。誰も私を「卑怯者」と言いませんでした。目を見て聴いてくれ、自分のことを否定されませんでした。もっともっと講座を受けたいと思い、最後の「悩みを取り去るマイクロカウンセリング」の講座を受けて後編も受講することを決めました。


 基礎後編コースは1~2か月に1度という、スローペースで受講しましたから、行く度に受講生は違う顔ぶれ。講師の方々やスタッフの皆さんにも覚えてもらっていないだろうな、と思いながら行くと「こんにちは。久しぶりですね。」「〇〇さんのペースで来ればいいんですよ」と声をかけていただいたことがうれしかったです。


 後編コースの受講を進めていくうちに、自分の中の問題点や解決したいことが受講した当初から変化していったことに気づきました。それは、講座中のディスカッションで気づいたのです。基礎前編を受講している時はディスカッションで話すのは元夫のことが多かったのが、後編ではほとんど元夫のことは話さず、息子のことばかり話していました。元夫のことを話したくなかったのではありません。自然と話さなくなったのです。その時、元夫のことは過去のことになったのだと思いました。


 元夫は、離婚した少し後に3度目の入院から退院し、以前一緒に住んでいた家から引っ越し、復職をするためにリワークを始めました。そして、リワークを終了して無事に復職したのです。離婚するときに考えた「私がいなければ自立するはず」の予測は本当のこととなりました。離婚を機に自殺してしまうかもしれないという恐怖の気持ちと、離婚を機に自立してほしいという希望の気持ち、両方ありましたが、自立をしてくれて本当にほっとしました。


 離婚条件を協議したとき、「息子とは月1回面会する」という約束を交わしたため、定期的な面会をしています。最初の何回かの面会は元夫に会うのが恐怖でしたが、何度か会ううちに恐怖がとれていきました。そして、私がメンタルで学んだのと同様に、元夫も人と接する方法を学んでいました。同時期に、コミュニケーションへの考え方が変わっていたのです。メンタル卒業生の野口先生の「鏡の法則」ですね。これは、とても良い方向に働きました。おかげで今は離婚前より良い関係が築けていると思います。


 ですから元夫にも私は感謝をしています。だって、私は彼を見捨てたのですから。いくら理由をつけたとしても、その理由は私の理由であって、彼の理由ではありません。息子への愛情があって面会を希望したとしても、私は散々責められても仕方のない立場です。私がいくらがんばったところで父親代わりにはなれませんし、息子のことを想って話ができる関係を築いてくれたことは本当に有り難いことです。息子から完全に父親を奪うようなことにならなくてよかったと思っています。


 今のチャレンジは、もっぱら息子のことです。6歳男子はこちらがやめてほしいことばかりしてくれます。メンタルに通う前の私だったら毎日毎回怒鳴りつけ、YOUメッセージばかり投げつけていたと思います。それも、疑問を持たずに。自分の言い方次第で息子に伝わるか伝わらないかが変わることに気づかずに。


 メンタルに通い始めてからアイメッセージを意識することや、一旦息子の意見や訴えを受け止めてから話をするようになりました。そうすると息子の反応が怒鳴るだけのときと全く違うのです。癇癪を起しても、その時私が踏ん張れれば、きちんと気持ちが落ち着き、話を聞いてくれるようになりました。そう、その時に私が踏ん張れれば、です。まだまだ未熟な私は、踏ん張れない時も多いのです。余裕がない時、イライラしやすい時は、息子のイライラや注意すべきことに対して、こちらもイライラで返してしまい負のスパイラルに入ります。

 そんな時は落ち着いた後に自分から「さっきはイライラしてしまってごめんね。」と謝ってから息子に直してほしいことや自分の気持ちを伝えるように心がけています。


 イライラしすぎて私のクールダウンに時間がかかってしまうことも多々あります。そういう時は、息子のクールダウンのほうが早く、先ほどのギャーギャーしたやりあいはどこへやら、「ママー、来てー。遊ぼー。」です。こんなダメな親でも許してくれます。こんなに怒りっぽい親でも好きだと思ってくれます。子供の親への感情はゲシュタルト(見方を変える)の考え方だな、と感じます。


 息子は元夫のことも許していました。3歳の頃からパパの見たくない姿を見ていたのにも関わらず、「パパは病気だから仕方ないよ。僕は治るまで我慢する。」と。そして病気の姿を見なくて済むようになった今は何かにつけて「パパは強いし足も速いしいろんなことできるし、すごいんだ!」と。良い所しか見ていません。離婚した理由も経緯も知っているのに。私も子供の頃はそういう風に考えられたのかもしれませんが、年齢と経験を重ねるにつれ、無意識のうちに丸の欠けた部分に目がいくようになってしまったのでしょうか。息子に教えられました。


 メンタルとの出会いは、私に様々な気づきを与えてくれました。ここで語れないほどたくさんの。メンタルと出会っていなければ、元夫から逃げた自分を認めることもできず、元夫と離婚後うまくいかず、息子に自尊心を養うこともできなかったでしょう。もちろん、今後の私次第で良い方向にも悪い方向にも行くと思いますので、メンタルで学んだ気づきを忘れず、ヒートアップして忘れてしまっても思い出してフォローしながら生きたいと思います。死んでしまったほうが楽だと思っていた2年半は無駄ではなく人生の糧であり、今後の私に必要なものであったと信じられます。と笑って語ってくれました。




 それぞれの気づき。修了式は僕たちメンタルのスタッフが、自分たちの日々の生徒さんとの関わりを学ぶ場でもあり、日々の仕事の収穫の場でもあります。ここでは載せることの出来ない人々の感動のお話もたくさんありました。インタビューに答えて下さったメンバーに心より感謝です。









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