体調不良 -過去ログ- | 〜ぷらすなちゅらる〜

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何かを失うと言う事で、得ていくものもあるということを私は知ってる。。はずだったのですが、いまちょっと心が折れてます。

2008年1月15日


なんか顔色悪いよ

と言われました。



体調?悪いとか感じません。

しかし、眠くて


眠れなくて


やっと眠ると夢を見て


泣いて目が覚めて


また眠れなくなる。



後悔って拭いきれないです


考えても


どうにもできないから


考えないようにしているのになぁ・・・




自分だけはごまかせません



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2008年1月17日


今日の集まりでも

ご飯食べてる?


>食べてます。がっつり。



顔色が悪い!


>そ、そんなに?



つかまって


なんでも力になるから言って!


と、言われる。








うう・・・おなかいたい。


ついでに言うと


右のアキレス腱が


たまに痛くて


洋君の切れたアキレスが右だから、


洋君が私に


乗ってるのかと感じます。


今日は警察の人と


夕方自宅で約束をしてて、


取材の人も


プライベートで旅行したから


お土産ですとか たずねてきたりして、


なんか私たちのために申し訳ない。。。




病院の看護婦さんとかも


「病院の職員として考えてくれなくていい


宮元さんと、私の関係で力になるから」


って、うちに来てくれたりして




病院で


松葉杖ついてなくちゃいけないのに、


それを守らなくて(←そうゆう人だった)


注意すると、松葉杖を


ついてるふりして


”ふんふ~ん♪”


みたいにやってた事とか

子供に会いたいって


話してたとか、


家族大好きな人で


いつも子供の話や


私の話をしていたとか、一杯聞いて


涙があふれてきた。




親らしい親だったなぁ。


主人らしい人だった。





男親であることに


すごく意味を感じていて


しっかり守ってもらっていたし

だからこそ


居なくなった今


私が守らなくっちゃ


いけなくて、それが


大きすぎて、大切すぎて


喋れなくなってしまった


洋君の代弁は


私にしかできない!


みたいな、プレッシャーも感じてて・・





代弁ができてしまうこと。

(生きていること)


それすら後ろめたく感じます。











起こった出来事が


いつも頭の片隅にあって


忘れられないって事は


あんがい、


結構、


厳しいことですね。



本当に、できることなら


タイムマシンにのって


あの事件の前日に戻り


意味とか理由とか無くても


無理やりに家に連れて帰ってきたい。



そうすれば


誰のことも


恨まずに


憎まずに


今も、のほほんと暮らしていたはずなのに。




今日、


洋君の病院での遺留品が


全部帰ってきました。




携帯も。



事件の日、


昼ぐらいまでいっぱい


電話がかかってきていたけど


なんと、最後に電話で


話していたのは私でした。



電話では洋君の仕事の話を


していたから、


その後に


きっとその仕事相手に


かけていたか


相手から、電話がなっているかで


”その人(仕事相手)が最後だろう”


と、思っていたのに ・・・

最後に話したのは私だった。



それが、私としては


すごく嬉しかったです。




ほんと、後30分


早く病院に私が行ってたらなぁ・・・ 。



私、強いから


守ってあげられたかもしれないのに。

やっぱり無念で仕方ないです。




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入院中の遺留品が


事件に関係ない部分だけ


返ってきた日、


その日の昼くらいまで


どうやら携帯の電源が入っていて


その後はoffされたようで


昼間での着信が残っていました。





みんな、まさか 洋君であるはずがない!


同姓同名の別人だ!と


思って無事を確認するために


電話してきたのでしょう。




最後に話をしたのは、


あたしが洋君のかわりに


仕事相手に板金材料の


カタログを届けることになっていて


家にあるカタログを


あたしが探しきれないかもしれない、と


心配して確認してきた。





「無事見つけましたー(ふふん)」←得意げ


「あ、そう、明日少し早めにきてね。」←フツー





少し早めにきてって


事件に間に合うように


助けにきてって 


意味だったのかもしれないって


今でもときどき、そう考えてしまう私でした。