マスコミに向けた文章。 | 〜ぷらすなちゅらる〜

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何かを失うと言う事で、得ていくものもあるということを私は知ってる。。はずだったのですが、いまちょっと心が折れてます。

私達家族は


事件当日まで、


貧しくそしてつつましく、


けれども倖せに日々を送っていました。






夫洋の職業は建築板金で、


北風の吹く日も屋根に登り、


夏、地上が35度の時など


トタンの屋根の上は


おそらく40度を超えていても


建築板金の職人として


灼熱の中で働き、一家を支えてくれました。





それでも生活は


決して豊かではなく、


夫の母親も、私も


働いて生計を立ててきました。




その様な中でも夫は


子供達には厳しく優しく、


そして何よりもふる里、


山内町のためになるならと


消防団をはじめ


地域活動に務めていました。


務めると言うより、


よろこんで参加していました。




あの日、


暴力団幹部の今田という人から、


私達一家はささやかな倖せを奪われました。





今年の正月は、


私の家も、


私の実家である父の家も、


そして兄や洋の姉や妹夫婦の家も


しめ飾りをはじめ、


正月は祝いませんでした。





線香とろうそくの香りの中での三が日でした。




今田という人が


私の夫を殺したそうですが、


私の夫を本当に殺した人は


今田という人に


殺すように仕向けた


「人」と暴力団と云う組織だと


私は思っています。



指定暴力団とか、


ヤクザとか、


何々組とか云うのは


私にはよく訳りません。


しかし武雄に


暴力団が居なかったら


夫は間違われて殺されなかったでしょう。




また、病院が


人違いを起こさせない様な


セキュリティーが配慮されていたら


間違われた事もなかったでしょう。




少なくとも


武雄の街に


暴力団の人に居て欲しくないし、


武雄の街から


暴力団及関係の企業や


事務所は


行政の力でなくして欲しいと願っています。





佐賀県内から


“道仁会”をはじめとする


暴力団の姿を


一掃してほしいと考えています。





警察の方は


事件発生以来、


事件の「捜査」と、


いう以外も含めて良くして下さいました。



良く励まして下さいました。



先日も


起訴に至る経過を知りたいと


申し出たら、


すぐ武雄警察署の署長さんが


私の家に来て下さり


良く訳るように説明して下さいました。



夫、洋の仕事仲間の人達、


消防団の人達、


同窓生の人達、


ご近所の人達、


山内町出身の市議の人々の


励ましの中であれから生活して来ました。




囲りの人達の


暖かい励ましがあったからこそ


今日まで来れました。





今私が倒れたら、


子供を守ってくれる洋は居ません。




交通事故に


少しでも遭わぬように


職場への通勤も車から電車へ変えました。





暴力団があるかぎり


抗争はあるでしょうし、


一般市民がまきぞえになる事もさけられません。




病院に入院していて


殺されると云う様な事は


私達で終わりにしてほしいと思います。





病院も警察も


行政も現実社会に適応した対応をして欲しい。




病院で人が殺されたり、


一般市民がまきぞえに


ならないような社会になってほしいという



思いで今は一杯です。



2008年1月 宮元篤紀