であいとわかれの意味。 | 〜ぷらすなちゅらる〜

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何かを失うと言う事で、得ていくものもあるということを私は知ってる。。はずだったのですが、いまちょっと心が折れてます。



こんばんは、


何日か記事を更新しないと


なんだか緊張します。



そんな、あっきんなのですが


本日二つ目の記事を書いています。



前に、夫がこどもたちへと


遺してくれた手紙


紹介していたときがあります。


そのひとつが


この、大切なことは目にみえない。なのですが


私はこの手紙を


定期入れのポケットに入れ


目に触れたら


読むようにしています。





そこには、彼のこども達に対する


変わらない想いがあります。



おそらく、一番伝えたかったことが


書いてあるんです。



もう、物理的に


会って、触れて、確かめることは


できないんですが


彼は、手紙に自分の全部を


書き留めて、読み返せば


いつでも彼の存在を確認できるように


遺したんです。





” こんなこと、する人

 見たことも聞いたこともない ”



と、多くの人がそういいました。


私も、そんな彼をみたのは


そのときが初めてで


彼は入院していたけど


死ぬような病気で


入院していたわけではありません。




時が来れば、


必ず治るであろう


たまたま起こった怪我で入院してただけです。


それに、今までも


彼は何かケガで入院したことがあって


今回が初めての入院ってわけでもなく


それなのに、今回だけ


こうして手紙を書いて


これを彼が遺したという


事実があり、これは私の推測ですが


彼は、自分でも気がつかない


奥深いところで


自分の最後が近いことを


わかっていて、察知して


そうしたんじゃないか?と、


そう思っています。





元々動物には、そうゆう危機を


察知する能力があるとは


よく言われることで


蜂が低い場所に巣を作ると


その年は台風が多いとか



そうゆう危機を察知する能力が


人間にもあるんだと思います。





ならば、彼も、


危機を察知していたとすれば


逃げられるような


状況を選べたんじゃないか?



とも、思うのですが、


それはどうして、こうなったのかは


色んな解釈はあるとしても


もう、これは後戻りして考えても


その場所に戻ることはできないので


それは置いておくとして


なぜ手紙を彼が遺したのか?


と、いう事を私は


考えるようにしています。






彼は、たぶん


そこで命を絶つことは


避けられないと潜在意識で


知ってたんだとおもいます。





そうすれば、私が


こどもたちが、非常に辛い思いをして


悲しい思いをすることも


充分承知でそうなったともおもいます。




だとすれば、その先に


どうすれば光を差し込めるかと


そう考えて


これを書いたのではないでしょうか?





姿かたちがなくなってしまっても


どうすれば、自分の想いが


遺された、大切な人に響き続けるか


それを知って


書いたように思えて


仕方がないんです。





命を懸けて書きのこす。




それがどうゆう気持ちだったか。


それがどうゆう想いだったか。






彼は元々が、いつも


全力投球しつづけるような


生き方をする人間でした。





一日一生というコトバがありますが


彼は、今日の自分として


毎朝生まれて、


今日の自分として


毎晩土に返る作業をして


次の朝に生まれ変わるような


そんな生き方をしている人でした。




毎日が輪廻転生を繰り返してる。





先日、よくある、スピリチュアルで言う


輪廻転生なんか信じたくない、と


話したばかりなのですが



スピリチュアルの話でもなんでもなく


人は毎朝、新しく生まれ変わって


人は毎晩、リセットしていると思います。






昨日ダメだった自分は


もう昨日でいなくなって


では、明日は


昨日のダメを良いに変える


そんなことをするために


毎日、朝が来て、夜が来ていると


私はそう信じています。








だから、今日頑張ったことは


自分の進歩であって



だから、今日ダメだと感じたことは


明日、もっとよくなれるという


今日をどう生きるかの


課題であったり、


テーマであると


そう感じたい私がいます。







遺された、生かされた私達が


どう生きていくかを


精一杯の形で 


できるだけ残してくれた彼が


本当に私達に伝えたかったこと。



それは、なんだったんだろう?


と、いつも考えて


それは、別に特に縛られることもなく


ごくごく自然に思うこと。






君は、ひとりじゃないよ


君は、ひとりじゃないから


だから、誰かをひとりぼっちに


しちゃいけないんだよ。





そうゆう事なんじゃないかと信じてる。



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さまざまな人との出会いと、別れ。


出会いにも、別れにも


私達が見せられている、


私達に起こっているこの世界には


必ず意味があって、


ちゃんと受け取って


それを、アウトプットして


生きている。





ならば、それを


どんな意味なのか?を


ちゃんと良い形で受け取って


意味の大きい形で


分かりやすい形で


みんなに伝えていかないといけないと


いま、私はそう考えています。





受け取り方も


伝え方も、全部


自分が織り成す綺麗な絵になりますうように。





人は、闇があって、


初めて光の温かさ、


まぶしさを知ることができます。




誰にでも闇はあり


誰にでも光は降り注いでいるのだから


だとすれば、


ちゃんと受け取って


ちゃんと伝えていかないと。



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ようやく、お墓の発注を済ませました。


夫のお墓としてではなく


家族のお墓です。




夫のご先祖様もここに入り


私達がいつかこの世から


去ったときも、ここに入る


いわゆる家を創るのです。






この墓石の作業を 私は


佐賀の少年刑務所にお願いしました。






普通の墓石屋さんに頼んでも


私達には何の関係もなく


何の支障もなかったのですが


どうも、納得がいかず。




いろんな出会いがあって、


その中でたくさん考えて、


そして、少年刑務所に頼みました。







犯罪者に墓をつくらせることに


後ろめたさはないの?と。


言われることもあったけど、


私は思うんです。




どんな人にも、


キラキラする心の場所があって


それを隠して生きてる人が多いんだと。







夫の墓石を切り出し


そして、磨いて


名前を刻んでいく作業の中で


まだ若い、少年たち


彼ら自身が自ら 


それによって


心をブラッシュアップして


生きていく力を、


自分を信じて、更生する道を


選べると私は信じてる。






人は、毎日生まれ変わってるのです。





人との出会いによって


人との関わりによって


人から信じられることによって





いくらでも、生まれ変われるし


生まれ変わった、自分は、


生まれ変わった、その人は、


本当は、そうしたかったのだと


本当は、そう生きたかったのだけど


引き出してくれる


きっかけがなかったのだと


本当にそう思う。







私達人間は、言葉という


便利な 気持ちを伝える


ツールを持っていても


なかなか上手に相手に伝えられません。





けど、植物や動物も


私達と同じように


考えています。


思っています。





動物の鳴き声をどう聞くか


植物の葉っぱやみきを


どう感じとるか、



それそのものが


彼らの言葉そのものなのです。





全部わたしたちの仲間なのです。








私は、彼にであって


私は、彼と生き別れて


生き物の、そうゆう本質を知った気がする。





だから、私は


彼を裏切らない。



だから、私は


みんなを、裏切らない。







みんな、だから


ひとりじゃないんですよ。



素直に、心の奥から


そう信じて、願って、祈っています。






受け取って


つむぐ心。



それが一番の夫であり


彼に対する 供養であり


彼の生きていた証だとおもう。




どう生きていくか


どこにフォーカスして


生きていくかは


みんな、全部


誰であっても選べるんです。







そんな思いはは ある出会いから


そんな思いは ある別れから


生まれることが多いから



ならば、生きていく


その動機付けが


どうでなくてはいけないと


自然に選べる自分が


今、とても


好きです。







人は、やっぱり


深いところでは同じなんだ。



気がつかないだけで


みんな、ちゃんと


優しくて 素直で 


一生懸命生きているんです。





そうだよね。


ひろっくん。







君でよかった。


君と出会えて


本当によかった。




本当の自分になれた私が


今、ここにいる。


君がいるから


君がいたから


君のために。




本当の意味の寂しさや


虚しさや、やるせなさ。


悲しみも苦しみも全部


人の何倍も私は知ったから


だから 花が咲くときは


きっと大きな花を咲かせる。






生き方や考え方は


人それぞれだけど


みんな、自分が


頂点であって、


全部素晴らしきかな人生。





全部尊い、ひとつの


限りあるいのちなんだと


そう思う。



君と私は


出遭うべきして出遭って


そして、形になるんだと思う。







優しさという


形のギフトとして。




愛をありがとう。


愛を、いつも


どんなときもありがとう。