立ち居地。 | 〜ぷらすなちゅらる〜

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何かを失うと言う事で、得ていくものもあるということを私は知ってる。。はずだったのですが、いまちょっと心が折れてます。

みんなが気がついていたかどうかは分からないけど、あたし・・・迷っていて。



ううん、今じゃなくて少し前の話なのだけどね、伝えてゆきたい事は山ほどあって、何にしようか?って迷うほどなんだけどね。でも、伝えきれない事もあってさ。





前はね、いっぱいの伝えたいことを、おもうがまに沢山書けた。
伝えたいことが一杯で、どうやったら伝わるんだろ?なんて自分なりに考えて、そして、写真も含めて一番近い形で表現できていた気がするんだ。





でも、だけど・・・起こったことを知っている人は分かってもらえるとは想うけど、去年の秋にあたしの状況は一変した。





写真とか撮る心の余裕をなくしてしまう大きな出来事があって、それからは写真を撮る、と、言うような気持ちにどうしてもなれなくて、それに軽はずみな事も言えなくなってしまって、あたしは本当の気持ちを書くのが怖くなった。







いや、これはブログでの話しであって、本当の気持ちを表現しなくてはいけない場所が他に用意されていて、そこではちゃんと表現してきた。いや、自分に出来ることがそれしかなかったから、必死で話した。


ブログで書いてきたので、文章を書くことに多少慣れていて、想ったことを言葉に変えることができたと思う。それはその場所に居る人全員に私が読んで聞かせる作文みたいなもんになったのだけど、泣いてはいけない職業の人まで泣いて、社会的にも大きな反響を呼び、あれから自宅にも見ず知らずの方から、お手紙やご仏前が届きました。











ほんとうに、ほんとうに、ありがとう。






わたしの気持ちを言葉に出来て、わかってもらえてとても幸せに感じています。でも、この幸せは、今まで感じたことの無い、壮絶な現実がわたしに書かせた事実だったけど、でも、これは誰のせいでも無くて、多分私達の運命だったと想っています。




あたしたちは、この地球って言う
水で覆われた青い星に生まれ

いろんな事考えたり
悩んだり
泣いたり
笑ったり
喜んだりしながら生きて
そして土に返ってく

たぶん、きっと私達って地球の一部なんだと思う
だから緑に触れると優しい気持ちになったり
花をみると嬉しくなったり
水面をみたら落ち着いたり
するんじゃないかと想う









あたりまえの毎日の繰り返しだと感じている人も多いのかもしれないけど、私は、考えてみた。
これって・・・あたし達の喜んだり悲しんだりの感情ってどこにいくんだろう?ってね






消えちゃうの?



















































私は違うと想う。
久遠って言葉があるんです。
これはね・・・ちょっとまってね、辞書でひいてみるよ!

えっと、ある事柄がいつまでも続くこと、と書いてあった。
つまり、永遠なんだ。



姿かたちが見えている、私達の考えている一生ってのは多分・・・命の長さの間だけ。
でもね、いろんな事考えて、生きて、残した想いってのは、きっときっと、きっと。。。。。







きっと、永遠に残っていくんじゃないかな?





残された私にとっての『生きる』は、けっこう頑張らなくてはいけない日々が待っていて、それは多分、守らなくてはいけない宝物があるからそう生きるしかなかったけど、でも、何かがあるから頑張っていかなくては・・と、言う気持ちが、生きる理由なら・・・それは多分とても幸せな事。





だって、自分だけならきっと、生きて居られなかったと想うんだ、多分、絶えられなくて、逃げて、この世界から消えて無くなっていたんじゃないかとそう想う。







でも・・・あたしには、守らなくてはいけない人が残されてて、だから、涙流しても、弱くても、何があっても、守るって想った。でも、その存在のためだけに生きたんじゃないよ?

その存在は確かに尊かったけど、でも、あたしはあたしの為に生きる!と、強く想った。




だって、自分のことキライで生きてたって何かいいことがあるわけないしさ。好きになろう。自分を抱きしめたげよう、ってね。


これが自分だって。ありのままの自分だって。