手とつないで歩きたいとは思わないな


寄り添って映画を観たいとも思わないな


ひとりがいい


道を歩くのもひとり


ショッピングもひとり


ものごとを決めるのもひとり



でもこころが響きあう


そんな瞬間はほしいなあ・・・


人と山のように会って


しゃべれどもしゃべれども


なんか満たされない


仕事でいくら人と打ち解けて話しても


やっぱり仕事モードだからかな


なんか満たされない


しょせん人間はみなひとりでしょ


ってうそぶいてみても


さみしい気持ちは変わらない


本当はどうしたいんだ~?


神様とでも話しをして


全部受け取ってもらいたいのか


そう、だね 多分


心底はそんなところ


でも神様は今はいない


生きている今はまだ会ったことない


だから寂しいんだ   のかな


以前年上の女性に


がまんとしんぼうはちがうもの


がまんでなくしんぼうをすることが大事


と言う風に教えてもらった


そのときはわかったような気がして


はい と答えたような記憶があるが


今となってみれば


わかっていたかどうか疑わしいし


今もようわからん



でも自分なりに解釈するに


がまんは人からさせられているって雰囲気かな


しんぼうは自主的


自分で選び取った道・・・ということか



まあそういうふうに理解すれば


主体的なしんぼうのほうが


ストレスはまだましといったところか



うん しんぼう してみようかな



子宮はストレスに弱い・・・と思う


思えばイライラばかりしていたころから


冷え・筋腫がひどくなった


女は子宮でものを考える


といった作家さんがいたけれども


ある種そうかもしれない


で、女の子宮にダメージを与えるのは


仕事もだけどやっぱり人間関係だよね


特に身近な人間関係


あんたイラつくんだよ!


って


ばっさり投げ捨てることができればいいんだけどね

母は思いを述べない人だった


ひたすら働いていた


その母が


父が死んで


一人暮らしのなかで


ある種のびのびと


ある種さみしさと生きていて


ごはんを食べによった娘(私)に帰りざまに言ったのは


「あんたもまあ息子が遠く離れてさみしいだろうけど

元気だしてやんなさいね」


だった


はじめてかけられたねぎらいのことば


母はいつもそんな言葉を奥にしまって


私たち子どもにちゃんとした“母”を演じてきた


彼女なりに一生懸命


私は気がつくと始めてのストレートな母の言葉を得て


泣きながら自転車に乗った


母の気持ちが届いた


長い長いトンネルを開けて