祈ることくらい、いつでも、どこででもできる、と思いがちだが、なかなかそうもいかないということが、改めてよく分かる日々である。

まず、人(隣人?)を想って祈ることから、か。



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記録の意味も込めているので…と、病状についての記載を主に行っていたら、突然電源が落ちて、8割方書いていた文が全部消えた。

一瞬心底アタマにきたのだが、まあ、まだ「そういうこと」は書かないでもいいという示唆だと受け止めることにする。

ただ、これは書きたいので書いておく。
今まで、厄介な敵に勝った時のことを思い出そうとしてみたら、あるサッカーの試合の記憶が甦ってきた。
最初は「位負け」しており、負ける恐れも大きかった。しかし事前にそれを、勝てるイメージと要素で上書きし、試合の中で一つ一つそれらを形にし、集中力を最後まで切らさず対応し、見事に勝利した。
…そういう経験があるということ、そして、書きながら改めて思ったが、あの試合、試合ごと別の次元に移動してしまったようなあの感覚はどうやって起こったか、改めて考えてみることで得るものは多そうだ。

今日は寝る。



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早速間が空いてしまった…

先週は、三名の先生に話を聞いた。
まあ、共通して言えるのは「旗色は悪い」ということと、「現時点では、可能性でしか話ができない」ということくらいか。

受け入れる、向き合う、闘う、それぞれについてしっかりやっていきたいが、まだまだ弱く、「想いは千々に乱れて…」という状態。こうして書いていても、まだ何というか、しっくりこない。

ひとつ、最近の自分がよく考えることは「安易な因果律に負けない」ということ(判明する少し前に、橘玲の「人間はあらゆることに因果論的な理由をつける」や、内田樹の「つまり『原因』はそこにあらかじめ『ある』のではなく、後で選び出されて、そこに『置かれる』のです」などの言葉に反応してたのはこの準備だったか)。自分を安易な枠組みの中に納めてラクをすることから、せめてこうなってしまった以上は抜け出てみようと、そんなことを時思う。


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