娘への「遺言」を作っている。
…いや、まだそういう局面にはいないけど、ある本(病気とは全く無関係)で、「お子さんにこれだけは伝えたい ということを3つ」みたいな項があり、まあ、こういう時だし一つ…と思って書いているものである。
幾つか挙がるが、今のところ、「ベストを尽くせ」ということにかなりの部分集約されるような感じである。
この「ベストを尽くす」「最善を尽くす」「人事を尽くす」というのは、何項か前に「複雑系で…」と書いたように、何というか、何をもって「ベストを尽く」せたことになるのか、自分の中に落ちていない部分がある。
過去、自分で、「ベストを尽くせた」という体験があるかと聞かれれば「ある」と答えるのだが、それは大概、好ましい結果を得られたものであり、ある種、結果論とも言えてしまう気がする(或はここんとこブームな因果律とか)。
もし、その時、望ましい結果を得られていなかったとしたら…それでも胸を張って「ベストを尽くせた」と言えるかどうか、と考えると、よく分からなくなってしまうのだ。
さっき読んでいた本の中に、マザーテレサの言葉が紹介されていた。
"Do not allow yourselves to disheartened by any failure as long as you have done your best."
もしあなたがベストを尽くしたのなら、どんな結果になってもガッカリしてはいけない
…これは、"自分の願うことではなく、神のなさることこそが最高なのだ"、という文脈で紹介されていて「おおぉ」と思い早速「遺言」に反映させようとしたのだが、過去にも書いた「天命に安んじて人事を尽くさん」と、メッセージとしてはほぼ同じと思っていいだろう。つまり自分は、この種のメッセージに強い共感(強感?)を覚えるのだと。
で、自分は、これらの言葉に照らし合わせた時に「ベストを尽くした」といえる経験が、あまり、ない、んじゃないかと思っている。
なんとなく折り合いをつけたとか、自分を納得させたとか、そういうことはある。でも、今こんなことをつらつらと書いていたり、娘への遺言として選択されるくらいだから、折り合いも納得も、本当のところは出来ていないのだろう。
もっとやれたんじゃないか…もっとうまく、もっと納得いくまで、もっと徹底的に、もっとがんばって…こういうのを抱えて生きていくのはあまり面白くない。自分に出来なかったことを娘に望むというのは不健康な形態かもだけど、でも、きっと、「もっとやれる、それによって見えてくる世界も全然変わる」と思うから、やはり、これは強く伝えていきたいことである。
…親のメッセージが子どもに一番伝わるのは、親がそのメッセージを体現している時だと思う。
なのでこれは、娘へのメッセージであると同時に、やはり、自分へのメッセージなのだろう。
いかなる結果になってもガッカリしない、そう心から言い切れる生き方を改めてスタートさせる契機を、「ベストを尽くす」ってのはこういうことではないか、という探求の機会を、頂いた、ということだ。
iPhoneからの投稿
…いや、まだそういう局面にはいないけど、ある本(病気とは全く無関係)で、「お子さんにこれだけは伝えたい ということを3つ」みたいな項があり、まあ、こういう時だし一つ…と思って書いているものである。
幾つか挙がるが、今のところ、「ベストを尽くせ」ということにかなりの部分集約されるような感じである。
この「ベストを尽くす」「最善を尽くす」「人事を尽くす」というのは、何項か前に「複雑系で…」と書いたように、何というか、何をもって「ベストを尽く」せたことになるのか、自分の中に落ちていない部分がある。
過去、自分で、「ベストを尽くせた」という体験があるかと聞かれれば「ある」と答えるのだが、それは大概、好ましい結果を得られたものであり、ある種、結果論とも言えてしまう気がする(或はここんとこブームな因果律とか)。
もし、その時、望ましい結果を得られていなかったとしたら…それでも胸を張って「ベストを尽くせた」と言えるかどうか、と考えると、よく分からなくなってしまうのだ。
さっき読んでいた本の中に、マザーテレサの言葉が紹介されていた。
"Do not allow yourselves to disheartened by any failure as long as you have done your best."
もしあなたがベストを尽くしたのなら、どんな結果になってもガッカリしてはいけない
…これは、"自分の願うことではなく、神のなさることこそが最高なのだ"、という文脈で紹介されていて「おおぉ」と思い早速「遺言」に反映させようとしたのだが、過去にも書いた「天命に安んじて人事を尽くさん」と、メッセージとしてはほぼ同じと思っていいだろう。つまり自分は、この種のメッセージに強い共感(強感?)を覚えるのだと。
で、自分は、これらの言葉に照らし合わせた時に「ベストを尽くした」といえる経験が、あまり、ない、んじゃないかと思っている。
なんとなく折り合いをつけたとか、自分を納得させたとか、そういうことはある。でも、今こんなことをつらつらと書いていたり、娘への遺言として選択されるくらいだから、折り合いも納得も、本当のところは出来ていないのだろう。
もっとやれたんじゃないか…もっとうまく、もっと納得いくまで、もっと徹底的に、もっとがんばって…こういうのを抱えて生きていくのはあまり面白くない。自分に出来なかったことを娘に望むというのは不健康な形態かもだけど、でも、きっと、「もっとやれる、それによって見えてくる世界も全然変わる」と思うから、やはり、これは強く伝えていきたいことである。
…親のメッセージが子どもに一番伝わるのは、親がそのメッセージを体現している時だと思う。
なのでこれは、娘へのメッセージであると同時に、やはり、自分へのメッセージなのだろう。
いかなる結果になってもガッカリしない、そう心から言い切れる生き方を改めてスタートさせる契機を、「ベストを尽くす」ってのはこういうことではないか、という探求の機会を、頂いた、ということだ。
iPhoneからの投稿