自分の使命とか、創られた理由とか存在意義とか、それを知りたいと思うことは当然のことだし、創造主もそれは好意的に見てくれるのではないか。それに、わざわざ教えないということも無いのでは。此方が構えず、もっと自然に「教えてください」「知りたいです」と尋ねれば、よりわかりやすい示唆を下さるのではないか。


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自分の中で勘違いが進行しないように書いとくと…

今自分は、「余命幾許もない」という特殊な状況下でいかに良く生きるか を考えてしまいがちだが、あくまで、癌を消してしまうことを目指しているわけだから、「今までと変わらない日々をいかに良く生きるか」つまり自分をいかに変えるかが大切なのであって、状況の持つ特殊性やドラマ性に頼ってはいけない。

勿論、癌を消すためには複数年かかるわけだし、充分特殊な状況ではあるが、一見フツーの生活が続く(と願いたい)わけなので、その中で、良き変化を継続させていくためにどうするかを常にイメージする必要がある。

能動的に、「努力」と思わず。
最善を。自分に嘘をつかず。

やりがいのあるチャレンジだ。


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消灯時間はとうに過ぎているので寝なきゃなのだが、零時に巡回で起こされるので…大変中途半端な時間。なので、前項「遺言」関連でもう一つ。

「ベストを尽くせ」以外にもう一つ中心に来そうなメッセージが、「自分に嘘をつくな」というものである。

実は、こういう、分かったような分からないような言い回しはあまり好きではなく、言い換えると「自分の"感覚""自然""違和感"を大切にせよ」という表現がしっくりくるのだが、今あえて、好きじゃない言い回しをそのまま使っているのは、1ヶ月ほど前に読んだ國分功一郎氏の本で、氏が「自分に嘘をつくというのが、生きることにおいて一番良くないことだ」と言い切っており、その印象が強かったからだと思っている。

違和感を大切に、というのも、氏の説明の中に出てくる。
自分もかつて、「自然体」というものを意識して大切にしていた時期があった(こう書くと異なることのような印象を受けるが、自分の中では根っこは同じである)。

ただ、これも、前項と重なるが、「折り合い」の名の下に、いつしか意識しなくなってしまった。上記"感覚""自然""違和感"の他に、"良心"というのも入っていいのかもしれないな、と今書きながら思ったのだが、その"良心"すら大切に出来ず、心の中で言いくるめて何とかしていたこともあった。その名残はいまもあるかもしれない。これは…心身を蝕む。蝕まれる感覚というものが、ある。それがあったからこそ、國分氏の言葉に反応したのだろう。

文中には当然「自分に嘘をつく」とはこういうことだ、という國分氏の明快な説明があって、何というか図星的な思いがしたのだが、氏によれば、「ものすごい多くの人がその地獄に嵌まっている」ので、きっと同じように図星的な思いをする人は多いのだろう。

だからこそ、というわけでもないが、娘を地獄に嵌まらせる訳にはいかない。
メッセージとして意識して伝えると共に、前項同様、親がその姿を以って示していくことが何よりだ。これも、悔いを持つ自分に対し、もう一度仕切り直す機会が与えられたのだろう。大切に、大切にしていきたい。

巡回も来たので寝る。

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