3日、多摩川マラソングランプリに出場。
「グランプリ」と名前はついているが、
数百名規模のこじんまりした大会で、個人的には気に入っている。
フルマラソンは1年ぶり。昨年の同大会に出て以来。
年1回の定点観測の場として(まだ2回目だが)、楽しみにしていた。
今年は、勝田の前のでかいポイント練習の位置づけも兼ねる。
サブ3!とは言ってみたものの、やはりというか、今はまだほど遠く、
今回は「目標3:15、あわよくば3:10、悪くても3:20は切りたい」という
ぬるい?設定でスタート。
3'10目標のラップタイムをポケットに入れ、5Kごとに確認する。
最初の5Kは、誤差無しのピッタリタイムで嬉しくなるが、
その後は思ったようにペースは上がらない。
苦しんで走るのは嫌なので、できるだけフォームに気を付けながら、
心身と相談しながら走る。
また、今回はラップタイムとともに「ラップ心拍」も設定した。
スピードと心拍を両方見て、うまく折り合いをつけながら走るよう心掛ける。
スピードは思ったより上がらなかったが、心拍はほぼ想定通り。
ラスト10㌔は、もっと上げてもいいことにしていたが、
心拍が上がるまで身体が動かず…結局平均心拍は144、ラスト10㌔でも
155を超えたのはほんとにラストのところくらいだったか。
精神的にナヨっちいことを再確認してしまったが、
まあ、おかげで最後までつぶれずスピードが落ちずに走れたし、
とても良い有酸素運動が出来たことにもなるし、マルということで。
あと、
直前に『Natural Born Heroes』にて読んだ、
「身体はその状態を、世界がどのように『見える』か(…)で知るのだ。
脂肪を使う楽な状態になると、視覚情報はくっきりと拡がって(…)、
糖を燃やす状態に移るとすぐ、意識は狭い視野に集中させられる」
という一節がとても頭に残っていて、
走りながら、周囲の景色を眺めたり色々して、
視野が狭まらぬよう意識する。これも功奏したように思う。
…そんなわけで、目標には達さなかったものの、
「悪くても3:20」は一応クリア。自分的にもまぁ悪くないレースだったかなと。
また、直後に食べたカツ丼が良かったのか、
夜に筋膜リリースを入念に行なったのが功を奏したか、
翌日、身体がほぼノーダメージだったのもちょっと驚いた。
「良い走りが出来た」とも「まだまだ速く走れる(≒追い込める)」とも取れるが…
(とはいえ疲れは残っていたので調整中ではある)
今回のを良いポイント練習として、次の勝田に活かしたい。
でも、マラソンは今年はもういい。
やはり、レースとしてはトレイルランの方が断然楽しい。
ところで
年末年始、BSで「Great Race」やTJAR外伝とかばかり見ていたが、
だいたいどこにも、「なぜ走るのか」みたいな問いが立てられて、
答えとして最初に「達成感」という言葉が出てくる。
この点、自分は少し違うのかな、と感じている。
勿論それも大きいのだが、
走っている最中の楽しさ、心地よさみたいなのの方が大きいというか。
「苦しい、苦しい…やり遂げた~!」じゃなくて、
やっているプロセスそのものの中に興奮や心地よさや没入や発見があって、
それを得たい、という欲求(?)のほうが強い、という気がする。
(これはでも多分、テレビに出てたランナーの方々の中にも当然あるだろうし、
「苦しみ⇒達成感」で括ろうとしている番組編集に対して
違和感を感じた、ということなのかなと思う)
TJAR外伝の中で北野聡選手が「苦しみのないところに充実感は無い」と
話しており、そこにはとても同意するのだが、
でも、「苦しい」だけではなく、苦しみもあるがそれ以上にそうした
「興奮、心地よさ~~」要はいろんな意味での「楽しさ」が、プロセスの中にあって、
そういった部分をもっと掘り下げて、選手に聞いてみると面白いのにな・・
などと感じた次第。
ちなみに、
だからマラソンはつまらん、トレイルランは面白い、と言いたいのではない。
マラソンも、走り方などもっと練習して洗練させていけば、
42キロの中に、そういった「興奮、心地よさ~~」があるのだと思うし、
自分の走りはまだ、それを得られるに至っていない、ということである。
駄文ついでにもう一つ感じたことを記しておくと、
同じく外伝で、男澤選手が「自分を究極まで磨けば…やれるんじゃないか」
ということを話していた。
報告書など読んでいると、男澤選手は本当に「究極まで…」という準備を
積まれたのだろうな、ということが見てとれる。
これはほんと、「磨く」あるいは
刀とか槍とかを究極まで「研ぐ」という印象がピッタリで、
凄みを感じさせる言葉である。
翻って自分は、と思うと、
まずその「究極まで磨く」を聞いた時に、刀とか槍とかのイメージが思い浮かび、
そのあと…「ジーンズ」が思い浮かんだ。。
いや、何かというと、
ジーンズを一から育てた時は、
あえて踏んづけてみたりこすってみたり洗濯もたまにしかしなかったり、
こう、「磨く」というよりも、何というかlazyな感じで味を出していき、
理想の、愛着のある一本を作り上げていったなと、
自分はなんだかそっちだなと。
これは、雨にかこつけて、
今朝予定していた距離走をサボった自分への、…言い訳、です。
いまは、あえて寝かせているのさ。。。