その後、AWA戴冠などレスラーとして名誉も得ますが、ここからだんだんと第一線を引いた形となり、1999年に引退、そして今度は放送席に座ることになります。
元レスラーの解説は、昔大好評を博した山本小鉄のような期待をしましたが、斎藤の解説は、マニアが聞くと結構面白く、あまり媚びない姿勢がかえって名解説ではなかったかと思います。
覆面レスラーの正体をあっさり言ってしまったり、アナウンサーの問いかけに乗らなかったり、ただ、たまに来日外国人レスラーに対するインタビューは通訳はいらなかったのがかっこよかったですね。
「GO FOR BROKE!」=当たって砕けろ、お決まりのフレーズを言う斎藤選手が好きでしたね。 まさに、まずはぶち当たってみる、それで玉砕したらそれまで、男らしい言葉にちょっと引かれましたね。
しかしこれであとは間接的に余生を送るのか?と思いいや、もう一勝負をするマサさんでした。
長州が佐々木健介たちと、ワールドジャパンプロレス(WJ)を立ち上げるとこれに参加、まだまだ生臭いのかな?と思いましたが、おそらく彼の性格からして、かわいい後輩に少しでもなんかしてやりたいという男気だったんでしょうね。
短期間で崩壊してしまうこの団体、その後は健介オフィスがマサさんの面倒を見るような関係だったようですが、パーキンソン病という難病にかかり、うまく動けない映像を少し見たこともあります。
2018年にこの病から亡くなりましたが、日本のプロレス界だけでなく全米をまたにかけて活躍したトップレスラーでしたね。 でも根っこは情に厚い日本男児だった気がします。
この項は終わりです。
AWA王座戴冠
画になってますね
解説者時代
そして晩年猪木と



