この番号は欠番期間が昔は長かったようですね。

ちょっと名の知れた選手が付けた時は、1980年ブレイザー監督2年目のヒルトン獲得の時でした。 岡田起用をなかなかしたくなかったブレイザー、ヒルトンを強引に獲得して、岡田起用をかたくなに拒んだことで、監督として追われてしまい、内紛を生じましたね。結局辞任して、中西監督誕生になって行くんですが、ヒルトンも途中退団、ボウクレアという助っ人が来ましたが、42番を光らせることはできませんでした。

 

その後、山口、ウィッグスが付けた後、大洋からパチョレック1992年からが2年間つけました。当時は阪神のPKO問題と言われ、当時は外国人枠が二つしかなく、パチョレック、オマリーそして郭李建夫という台湾の剛球投手が在籍して、93年に3人制になってしまいました。

実力のある3人が同時起用できない、もったいない器用しかできないじれったさを感じましたが、パチョレックが視力低下で、退団していきました。

 

98年からは助っ人が1年ずつ付けましたね。ウィルソン、ジョンソン、タラスコ、クルーズ、ハンセル、そして2003年から日本ハムから下柳が付けて安定した成績を上げてくれました。

2011年まで息の長い投手で、最多勝のタイトルも取りましたね。いつかコーチとして戻ってきませんかね。

 

竹安が近年は3年間つけ、惜しまれながら人的補償でオリックスに。

その後は、ソラーテがお騒がせして、今年からはエドワーズの番号になりました。

 

2年間でしたが、パチョレックは良かった

 

そして一番は下柳

 

本当は彼がローテ投手になるべきだった

 

焦って取ったソラーテは大失敗

 

そしてエドワーズ