今でこそ31番は特に阪神では有名な番号になりましたが、創成期はこの番号をつける選手はいませんでした。

30番が一番大きな番号で監督が付けるという感じでしたが、その後選手が増え、プロ野球も拡大路線になって行きます。

 

阪神では堀尾文人という外野手が阪急から加入して初めて付けました。

その後は玉置玉一という内野手が付け、1950年からは、二軍監督が数人つけていますね。

 

その後、戸梶正夫というキャッチャーが付けた後、1968年からは助っ人のカークランドが付けていました。

初年度に37本塁打を放ち、一躍主力打者となりましたが、その後はそこそこの成績で、しかし人気のある選手だったようです。まあよくある三振が多い外国人になってしまいました。

みんながよく目にする映像は、巨人のV9決定の最後の打者でしょうね。

 

そして掛布が付けます。阪神のレジェンドになったミスタータイガース。1985年の日本一の年に40本のホームランを放ちました。ホームラン王・3回、打点王・1回、ベストナイン7回、ダイヤモンドグラブ6回、文字通り阪神を背負った選手でした。

しかしデッドボールを受けてから握力が弱くなり、その後は成績も下降線、スキャンダルも起こして阪神を引退、金本監督時にファームの監督でユニフォームを着たのは時間がたちすぎていましたね。

 

その後は、萩原、広澤、濱中、林威助と期待の選手や、ネームバリューの選手が付けましたが、なかなか思い背番号になっています。

そしていったん掛布に返され、そして今は助っ人のマルテになっています。

 

大型内野手、できれば高卒の選手で、サードの後継者につけてほしいところですが。

 

掛布がこの番号を大きくした

 

林威助は、良い放物線を描く打者でしたが

 

そしてファーム監督時に再び

 

そして今はマルテ