この時は全日本プロレスを結構見ていましたね。
それは輪島が見たかったからではなく、天龍革命が面白かったから。 あのUWFの前だが、天龍のえげつない攻めに驚いたくらいでした。
それは輪島が見たかったからではなく、天龍革命が面白かったから。 あのUWFの前だが、天龍のえげつない攻めに驚いたくらいでした。
まあそれは後で書くとして、輪島はデビュー以降、破格の待遇で試合が組まれていきました。
デビュー後再渡米して、数試合主力と一緒に遠征をしたり、実戦をさらにつみました。 多くのフィニッシュホールドは、“ゴールデン・アーム・ボンバー” でした。 まあぎこちない技ですから、見た目は良くないんですが、輪島らしい説得力のある技でした。 まあ、かけられる方が大変そうでしたが(^^)
そしてよく年の1987年3月に、リック・フレアーに早くも挑戦という破格の待遇をされています。 デビュー1年未満でNWA挑戦というのは、確かに別格的な待遇ですね。
翌月はハンセンとの一騎打ち、でも見ているこちらとしてはなにかスッキリしない感じがいつもしていました。
38歳の黄金ルーキーですが、ファイトスタイルはあまりに硬い。 不器用で流れが無い。
特に当時の外国人エースのハンセンには、プロレスの厳しさを輪島に味わわせてほしいという感情になりますよね。 でもしっかり外人からもVIP待遇(^^)
輪島に傷がつかない決着になっています。
さらに鶴田と組んでタッグ王座に挑戦するなど、順調に馴染んでいくものと思っていましたが、この時もそうですが、輪島に待ったをかけたのが天龍でした。
いち早く角界から転向し、全日本では鶴田と並ぶ両エース、そしてこの時点では、長州たちジャパン勢が新日本にUターンしたあとに、大いなる危機感を感じ、本体に反旗を翻し天龍革命をぶち上げ、阿修羅原と龍原砲で、一大勝負をかけた時でした。
この時の天龍のターゲットは、まずは輪島だったようなニュアンスを感じました。
誰もが腫れ物に触るような扱いをしていた輪島に、「そうじゃないだろう!」 と厳しい攻めを唯一していたのが天龍でした。 このPWFのタッグ戦を皮切りに、とうとう天龍とのシングルマッチを11月に行い、ボロカスにやられました。
本当のプロレスの凄さを味わわせた天龍、当時彼の試合では、同じように伸び悩んでいた高木なんかも、ケチョンケチョンにされていましたね。 タッグマッチで、天龍が高木に掛けたコブラツイストのエグイこと!
昔猪木がこの技をフィニッシュホールドにしていた時代がありましたが、大型レスラーがコの字になって立ち上がれないほどのダメージを受けたコブラを初めて見ました。
しかし輪島に対する厳しい攻めは、天龍ならではのリスペクトと言われました。 その世界で最高峰を極めた輪島に対し 「強くあってほしい」 と願い、それが輪島への厳しい攻めにつながったといわれています。
煮え切らない試合を続けていた輪島もそれに触発され、天龍が放つ容赦のない蹴り技を真っ向から受けるなど迫力ある対戦となりました。 30もの蹴りを受け切った輪島、ある意味心に残る勝負だったのではないでしょうか?
煮え切らない試合を続けていた輪島もそれに触発され、天龍が放つ容赦のない蹴り技を真っ向から受けるなど迫力ある対戦となりました。 30もの蹴りを受け切った輪島、ある意味心に残る勝負だったのではないでしょうか?