長州がオリンピック代表という事で、1980年の代表選手だった選手がまた新日本に入団してきました。 しかし1980年のオリンピックは、モスクワ大会。 そう日本がアメリカの後にくっついて、ボイコットした因縁の大会でしたね。
この時ボイコットを決めた時の、柔道の山下泰裕の涙の抗議はいまだに忘れられません。 政治とスポーツが絡み合った嫌な出来事でしたね。
そして、同じようにオリンピックの全日本学生選手権フリースタイル100kg級4連覇、全日本選手権優勝、日本代表だったのが谷津嘉章でした。 前回のモントリオールで8位と健闘して、重量級初の金メダリストになるかと言われた屈辱のボイコットだったと思います。
そしてその年新日本プロレス入団、いきなり海外武者修行に行ったんですね。
長州のようにじっくりと日本で修業、そして日本でデビュー後海外遠征ではなく、谷津のデビューはMSGでした。 相手はカルロス・ホセ・エストラーダ、まあいつも踏み台になってくれるレスリング巧者の選手ですね。 この選手には藤波も、タイガー・マスクもお世話になっております(^^)
そして各地を転戦後、いよいよ日本デビューとなるんですね。 しかしこれは大変きついデビュー戦になりましたね。
なんと猪木と組んで、ブッチャー・ハンセン組との対戦。
これは当初猪木のパートナーはローデスだったんですが、急きょ来日不能となり、谷津を抜擢という流れでしたが、元から決められていたのかそれは不明です。
まあ最初の数分は見せ場が作られましたが、当時移籍してきて張り切っていたブッチャーと、もやもやしていたハンセン、ライバル心も物凄くいい形の標的になり、なぶり殺しのような展開になりました。
また奴の体形も、アンコ型に近くなにか鈍重な感じがしたのも、悪印象でしたね。
この1試合ですぐさま海外に戻って行った谷津。 初めのリングネームは 「グレート・ヤツ」 だったそうですが、今回は 「トラ・ヤツ」 というリングネームで、ヒール転向をした感じですね。
もう一度箔をつけ直しての帰国、しかしその時は1983年、維新軍が売出し中の時でした。 アマレス人脈の、斉藤、長州に引っ張られる形で維新軍入り、これには猪木や坂口が激怒、何のための修業に送り出したのかという事でしたね。 飼い犬に手をかまれる的な発言をしていたと思いますが、ただバランスは良くなりましたね。
そして4対4の綱引きマッチに彼もエントリーしてくるんですね。
正規軍は、猪木、坂口、藤波、前田、維新軍は、長州、浜口、カーン、谷津。 その結果、長州―前田、藤波―カーン、坂口―浜口、そして猪木にあてられたのが谷津でした。
維新軍2勝1分けで、勝ち越した後に迎えた猪木戦。 まあ格の違いというか逃げ回った挙句負けていいところなしの試合でしたね。
まあ谷津の初期は本当についていなかった感じでした。ただ、この時に戻ってきた姿は、、以前のぶよぶよの体ではなく、引き締まった良い体になっていましたね。
しかし、やっぱり自力のある谷津はだんだんと維新軍の中で、存在感を発揮していくんですね。